F-104「最後の有人戦闘機」問題最終報告

しばらく追ってきた、ロッキードF-104戦闘機のあだ名「最後の有人戦闘機」の件。今日また国会図書館で古い航空雑誌を当たって、ほぼ決着がついたので今回をとりあえず最終報告とします。

えー、Wikipediaの「F-104(戦闘機)」の項目には長いこと、「最後の有人戦闘機の呼び名はultimate manned fighterを訳したものだと言われているが、正しい和訳は究極の有人戦闘機である」と書かれていました(今は私が編集済)。さまざまな面でそれを疑った私は、昨年夏から古い雑誌・新聞を当たり真偽を探ってきたわけです。
さて、いきなり結論から言うと、
・F-104がアメリカで "ultimate manned fighter" と呼ばれた可能性は低い
・仮にその呼び名があったとしても「最後の有人戦闘機」とは無関係(断言)
・「最後の有人戦闘機」は文字通りの意味。「究極の有人戦闘機」ではない(断言)
 
時系列で整理しましょう。
1956年2月16日、試作型 YF-104の記者公開に際して、米空軍は"ultimate manned fighter"と表現した……と書く記事があります。

一九五六年二月一六日、この新型機が空軍によりバーバンク工場で初めて記者公開された。およそ二年間にわたる極秘のテストの結果、XF-104に比べるとずっと洗練された戦闘機に生まれ変わったこの機体はYF-104Aの二号機だったが、記者会見で空軍はこの戦闘機を「The Ultimate Manned Fighter(究極の有人戦闘機)」という表現で説明した。
このため新聞や雑誌、ニュース映画などは「人間が乗る最後の戦闘機」として紹介し、このニュースは世界中にすさまじい戦闘機が出現した、という話題を提供した。
 
雑誌『丸』2014年5月号「F-104 スターファイターの栄光」

しかし英語版wikipediaを筆頭に、海外のサイトでは"ultimate manned fighter"に言及しているものは全くありません。
また、当時の日本の航空雑誌『航空情報』『航空ファン』を見ても、F-104の記事に「人間が乗る最後の戦闘機」とは書かれることはあっても、"The Ultimate Manned Fighter"あるいは「究極の有人戦闘機」とは書かれていません。
航空ファン』1956年5月号掲載の記事は「人間が乗る最後の戦闘機」を大見出しとして、本文はこう始まります。

F-104A ―「恐らくこれが人間が乗って飛ぶ戦斗機としては最後の機種になるだろう」と迄噂され乍ら今迄米空軍当局の厳重な秘密保持のためにその片鱗さえも窺えなかったロッキード飛行機会社のF-104A"スターファイター"超音速ジェット戦斗機(略)

とまぁこんな具合で、デビュー前のウワサ話からして「人間が乗る最後の戦闘機」はそのまんまの意味だったんですねこれ。
一方で、

米空軍参謀長官N.F.ツウィニング大将は、F-104Aを評して「今迄に作られたジェット機戦斗機中最も進んだ機種」と述べている。

とも書かれており、この発言が原語では"ultimate manned fighter"だった可能性はありますが、だとしても「人間が乗る最後の戦闘機」とは順序が逆というべきでしょう。翌6月号にも「人間が乗る最後の戦斗機」のフレーズが出てきますが、やはり由来は不明です。
なお、ロッキード公式のキャッチフレーズは"Missile With A Man In It"。『航空ファン』1956年7月号掲載のロッキード社の広告はその和訳に当たる「人間の乗るミサイル」というフレーズが書かれています。
また、『丸』2014年5月号の記事は「ニュース映画などは「人間が乗る最後の戦闘機」として紹介」と書きますが……。

The Ultimate Manned Fighter 、あるいはLast Manned Fighter とは一言も言っていません。無論、これ一本だけが当時のニュース映画ではないと考えられますが、それにしたって今にまで残った1本のニュース映画に全く出てこないのに、世界中に話題を提供したとは少々考えにくいでしょう。
さて、デビュー当時にこそ「人間が乗る最後の戦闘機」と謳われたF-104ですが、以後その呼び名は誌面には出てきません。自衛隊の次期主力戦闘機(第1次FX)選定はちょっとした政治スキャンダルで人々の関心も高かったはずですが、FXを取り上げる記事はあってもF-104が先進的であるかのような表現は控えられています。

FX選定のゴタゴタを挟んで、次に「人間が乗る最後の戦闘機」を発見できたのは『航空ファン』1959年12月号、田川進による記事「次期戦のF-104Cと日本の防空」。なお、この頃にはFXはF-104で決まりとほぼ確定しています。

たしかに、これはただの飛行機ではない。ロッキード社の説明によれば、「スターファイターは、人間の乗ったミサイルであります。細く尖った機体と、ナイフの刃のような薄い翼形は、ロケット科学の直接の産物でありますといって、スターファイターがまぎれもないミサイルであることを強調している。まさにその通り、もしもこれを飛行機と呼ぶならば、これは「人間の乗る最後の戦闘機」である。

という具合に、公式キャッチである"Missile With A Man In It"…「人間の乗ったミサイル」を織り込みつつ、著者独自の発想であるかのように「もしもこれを飛行機と呼ぶならば、これは『人間の乗る最後の戦闘機』である」としています。自衛隊に採用という評価が定まった段階で、この呼び名が蘇ったと捉えられるでしょう。
一般マスコミではさらに後、自衛隊にF-104Jが導入された段階でみられるようになります。
まず朝日新聞昭和37年(1962年)2月16日付に「最後の有人戦闘機」が登場。

太い胴体、小さい主翼
ロッキードF104J戦闘機公開
航空自衛隊の次期主力戦闘機ロッキードF104Jが十五日、新三菱重工名古屋航空機製作所小牧工場で報道関係者にはじめて公開された。
(略)
小牧工場第四格納庫に納ったF104J一号機は周囲にロープを張りめぐらし、部外者は立入り禁止のものものしさ。グッと伸びきった太い胴体、そして"飾り"のような小さい主翼。"最後の有人戦闘機"と呼ばれるにふさわしく、鋭い力強さが、同じ格納庫内にならぶF86D、F86Fなど現用戦闘機を威圧している。
(略)

また、『週刊文春』昭和37年(1962年)3月5日号記事にも「人間最後の戦闘機F104」と書かれています。
 
さて、それではもうひとつ「最後の有人戦闘機」は文字通りの意味であり「究極の有人戦闘機」ではない、という件について。
これは要するに、以前にも書いたとおり(http://d.hatena.ne.jp/UnKnown/20150720)「当時のミサイル万能論は今われわれが想像するレベルを超えて圧倒的だった」という話なんですが、それを裏付けるような「最後の有人軍用機」の記事を見つけました。
FXがF-104に決まった頃の『航空情報』1960年3月号にこんな記事が載っています。

特別座談会 F-108・B-70の中止に思う
有人軍用機の運命はきわまったか?

 
全世界の注目のうちにつくられていたアメリカ空軍最後の有人機、F-108戦闘機とB-70爆撃機が、相次いで開発中止の運命に見舞われた。
(略)
編集部 アメリカ空軍でミサイル時代の最後の有人機として期待のうちに開発つづけておりましたノースアメリカンF-108レイピア、B-70バルキリーの両機種の開発中止が正式に発表されました。これは、つまりアメリカ空軍が有人戦闘機・有人爆撃機の新機種の開発を打ち切ったということで、わたくしたち航空ファンには実に重大なショックなわけです。しかしこれは単に有人式軍用機に対する懐かしさというようなものとは別に、非常に大きい歴史的意義があると思います(略)

なんとまあ、この頃既に(この頃には、というべきか)有人機の時代は終わる前提、懐かしさすら感じるものとなっていたのです。
そんな時代背景ですから「『究極の有人戦闘機』こそが正しい! 『最後の有人戦闘機』は間違い!」なんて主張はナンセンスというより他ないのでした。
 
というわけで、"ultimate manned fighter"の出典こそ確認できなかったものの歴史的な経緯は概ね理解できたため、この件についてはこれを最終報告とします。
以下、関連記事。なんやかやで計8つにもなっていたか…。
http://d.hatena.ne.jp/UnKnown/20100114
http://d.hatena.ne.jp/UnKnown/20120302
http://d.hatena.ne.jp/UnKnown/20150718
http://d.hatena.ne.jp/UnKnown/20150720
http://d.hatena.ne.jp/UnKnown/20150724
http://d.hatena.ne.jp/UnKnown/20150725
http://d.hatena.ne.jp/UnKnown/20150802