F-104は文字通りの「最後の有人戦闘機」だと思われていた

http://d.hatena.ne.jp/UnKnown/20150718
の続き、まずはおさらいから。
 
1・日本ではF-104は「最後の有人戦闘機」「人が乗る最後の戦闘機」と呼ばれた。
2・それは"ultimate manned fighter"の意訳であるとする説がある。
3・しかしネットで確認できる範囲では、英語圏にはその呼び名は無い。
4・『丸』2014年5月号に「1956年2月16日のYF-104お披露目の際に空軍が"ultimate manned fighter"と称した」との記事が載っていた。
5・しかし仮に"ultimate manned fighter"発言が本当にあったとして、それを「最後の有人戦闘機」の原文と扱ってよいのか?

てな感じ。
まず第一に、単純に言って「早過ぎる」んですよ、1956年2月では。

日本では確かに「最後の有人戦闘機」「人が乗る最後の戦闘機」と言われていた。でもそれは、自衛隊に導入されてからなんです。

1950年代後半の、航空自衛隊の次期主力戦闘機選定を巡る騒動、いわゆる「ロッキード問題」のおかげで新聞・雑誌はしばしばF-104を取り上げていたのですが、その記事には「最後の有人戦闘機」とは書かれていない。控えめに言って、私は見つけることができませんでした(ちなみに新聞ではF-104でなく「ロッキード」と書くのが基本だったり)。

F104か、ライバルのグラマンG-98J-11(F11Fタイガーの発展型)か。どちらが選ばれるか分からなかったから、一方に肩入れするような派手なあだ名は避けたのか? マァ理由はどうあれこの時期「最後の有人戦闘機」などと呼ばれたりはしなかった。

ていうか1959年12月に至っては「最後の」どころでなく「アメリカ空軍では廃止が決まった旧型機」扱いです。廃止というのは初期生産型で昼間戦闘機のF-104Aのことで、J型のベースになる全天候型・F-104C型は使われ続けるのですが、それにしたってアメリカはF-104の生産は打ち切ってコンベアF-106を増備するという。これでどうしてF-104が「最後の有人戦闘機」になるものか。

念のため、ここらへんはミリオタが内輪でボソボソやっていた話題ではありません。国会において野党が岸内閣を揺さぶるために使ったネタで、新聞も一面でドーンと取り上げているから、広く一般に知られていたでしょう。

さて、それならいつから「最後の有人戦闘機」と呼ばれるようになったのか? 私に発見できた範囲では、「自衛隊仕様のF-104J型が初めて一般公開された時」でした。
朝日新聞昭和37年(1962年)2月16日付の記事にこうあります。

太い胴体、小さい主翼
ロッキードF104J戦闘機公開
航空自衛隊の次期主力戦闘機ロッキードF104Jが十五日、新三菱重工名古屋航空機製作所小牧工場で報道関係者にはじめて公開された。
(略)
小牧工場第四格納庫に納ったF104J一号機は周囲にロープを張りめぐらし、部外者は立入り禁止のものものしさ。グッと伸びきった太い胴体、そして"飾り"のような小さい主翼。"最後の有人戦闘機"と呼ばれるにふさわしく、鋭い力強さが、同じ格納庫内にならぶF86D、F86Fなど現用戦闘機を威圧している。
(略)

さらっといきなり出てきます。手のひら返し的というかナンというか……。ともあれ、何に由来して「呼ばれる」のか判然としない。

とまぁこういう経緯なので、仮に"ultimate manned fighter"発言が1956年2月に本当にあったとしても、またその際「最後の有人戦闘機」との呼び声があったとしても、日本ではロッキード問題でゴタゴタしている間に忘れられた(あるいはそもそも日本には伝わってこなかった)と捉えるのが自然ではないでしょうか。
 
そして第二に、日本で言う「最後の有人戦闘機」は「究極の有人戦闘機」などでは決してなかった、ということ。現代の感覚で振り返ると「一時期はそういう考え方もあったんだねえ」とフラットに捉えてしまいがちですが、当時は「ミサイル万能論」が大マジで、ガチで信じられていたらしい。
週刊文春』昭和37年(1962年)3月5日号掲載、自衛隊の高級玩具ロッキード 人間最後の戦闘機F104をめぐる黒い噂…」と題する記事にこうあります。

また、こんな説明をする軍事評論家もいる。
「一千億円のムダ使い?とんでもありません。F104自体はそれほど有効とは考えておりません。だが、ジェット機づくりはミサイルづくりのひとつの段階なんです。ジェット・エンジンや電子兵器の製造や研究は、そのまミサイル製造への道に通じているんです。
(略)まあ、この一千億円はミサイル生産の授業料みたいなもんですな……」

掲載が『週刊文春』で匿名の「軍事評論家」の発言だから眉につば付ける必要はありますが、F104は有効でないけど「ミサイル開発のベースになるから」必要だ、と言っている。「最後の有人戦闘機」、この記事タイトルでは「人間最後の戦闘機」は全く文字通りの意味で、次世代はミサイルだけで十分だということなんです。

この後になると「最後の有人戦闘機」「人が乗る最後の戦闘機」は何度も登場、1964年には「F104J 人間が乗る最後の戦闘機」と題するドキュメント番組も放送されました。その段階ではイメージも変わっていたかもしれませんが、1962年2月時点での語られ方からすると、うーん、その原文が"ultimate manned fighter"であるとはやはり思えないのです。

ちなみに「F104J 人間が乗る最後の戦闘機」は2002年に再放送されたそうで、

http://choco.2ch.net/test/read.cgi/army/1013101260/

41 :名無し三等兵:02/03/04 00:29
ついでに、JNNニュースバード
25日午後10時から11時
1964年放送のドキュメント「F104J 人間が乗る最後の戦闘機」も。
“最新鋭(当時ね)のジェット戦闘機の制作プロセスと、その美しい
飛行姿を詩情豊かな映像と音楽で奏でるドキュメンタリー”だそうです。
 
44 :名無し三等兵:02/03/04 22:05
>>41
曲は黛敏郎だったかな。ナレーション一切無しで
104の製作→テストを嘗めるよーに収録してる。
タービンブレード削ったり、あの小さいエアインテークにもぐりこんで
作業したり。かなーーーり(゚д゚)ウマーです。お勧め。
  
99 :96:02/03/26 04:07
今見ましたぜ「F−104J」

良かったです。
白黒の制作シーンから、カラーになるのが“日の丸を塗っているシーン”というのがツボ

なんて過去ログもあったりします。くそう、またやってくれないかなあ。
【続き↓】
http://d.hatena.ne.jp/UnKnown/20150724
 「F-104は"ultimate manned fighter"と称された、との説はどこまで本当か」
http://d.hatena.ne.jp/UnKnown/20150725
 「"ultimate manned fighter"なんて最初から無かった」
http://d.hatena.ne.jp/UnKnown/20150802
 「ultimate manned fighter が「超すごい」的な「究極」のはずはない 」