エアカー生産開始を知らせる新聞記事

約1年ぶりで「エアカー」タグの記事です。関連記事はタイトル横のタグをクリックしてね。

F-104はいつから「最後の有人戦闘機」と呼ばれていたか? の調べもので1959年(昭和34年)の新聞縮刷版をざっと読んだのですが、そこでたまたま見つけた小さな記事。
朝日新聞昭和34年8月14日付10面です。ホントに小さい記事なので全文テキストに起こしてみる。

米で車輪のない自動車 11月から生産
 
【ニューヨーク十二日発=ロイター】米国のカーチス・ライト会社は十二日「エア・カー」で圧搾空気の"クッション"―水陸両用に乗れる車輪のない自動車の生産を十一月から始めると発表した。この自動車は一見、かつての陸軍の水陸両用車"ダックス"に似ているが、クラッチがなく地上、あるいは水面上六インチ(約十五センチ)ないし十二インチ(約三十センチ)の高さを走るようになっている。大きさは長さ約六メートル三十センチ、幅約二メートル四十センチで三百馬力を出すエンジン二個をつけ、最高時速は六十マイル(約九十六キロ)である。
重量千七百ポンド(約七百七十一キログラム)のこのエア・カーは四人乗りの乗用車で、普通の自動車を運転できる人はだれでも運転できる。

なんかくだくだしくスペックを並び立てているだけで、イマイチどういう乗り物か伝わってきませんが、書いてる人もよくわかってなかったんでしょうな。
ところで、以前閲覧した『ソビエトの少年科学2 エア・カー』(イェ・イ・ルジッキ著 藤川健治訳。誠文堂新光社1967年)によれば、1959年のカーチス・ライトのエア・カーといえば「アメリカで最初の実験用エア・カー<エア・カー・I>」のはず。
http://d.hatena.ne.jp/UnKnown/20121216
↓この動画の最初に出てくるのですが……。

これ、どう見たって4人乗りじゃないよね。なにがどうして上に引用した記事になったのか、気になるところです。それとも『ソビエトの少年科学2 エア・カー』の記述のほうが1年ズレていて、朝日新聞の記事が伝えているのは「エア・カー2500」の話なんですかね。そうとらえたほうが色々と辻褄は合うんだよな。

この動画のタイトルが「…Curtiss Wright 2500 (1959)」になってる件とか。