時には仕事の話をしようか(Vo.加藤登紀子)

えーと、このブログですと「ウルトラマン・ジャミラ回、最後の台詞は「犠牲者」で確定」だとか。

 

Twitterですと「ファミリー劇場のTV版「 機動警察パトレイバー 」録画視聴。✕感応電流 〇間脳電流 はともかく、✕伝送系 〇電装系はメカ物の常識でしょ……」だとか。https://twitter.com/kawada0zo/status/1043510558459187202

 

前々からTV等の字幕に対してツッコミを入れていたワタクシですが。

 

因果応報というべきか、あるいは適材適所ともいえるのか、この4月から「TVの字幕の校正の仕事」を手がけています……。

 

守秘義務的なナニヤラはもちろん、同じ職場の人たちにバレるのが怖いので具体的にどこの何を手がけているかは言わないものの、「人生で最もアニメを観ている時期」なのは間違いない(苦笑)。多い日には仕事だけで日に5本か6本(アニメでない作品も手掛けているのでMAXでこれくらい)、帰宅してさらにプライベートの娯楽で1本くらいは観てるので。

 

てなわけで。同じ職場の人にバレない程度にまでボカしつつ、この先何度かに分けて仕事の話もしようかなと思ったり思わなかったり。

 

 

百貫デブが車に轢かれたのはいつか?

「デ~ブ デ~ブ 百貫デブ  車に轢かれてぺっちゃんこ!」

……という言い回しがあるが、よく考えるとこれ、歴史的にピンポイントだな?

 

「貫」という単位の重量感覚がまだ残っていて、その一方「車に轢かれる」ことが普通に起こりうる時代。ざっくりググって、尺貫法の法制度上の使用禁止が1958年限り(土地と建物の計量については1966年3月)だったと知る。一方のいわゆる「交通戦争」は1960年代のトピックで、百貫デブが車に轢かれたのは60年代前半のことと推察されるのだった。

 

ただし、例えば「元々は『車に轢かれて』でなく『電車に轢かれて』といったもので、実は戦前からあったのだ」という可能性もあり、安易に結論付けるのは避けたいところ。

はてなダイアリー閉鎖

はてなは8月30日、同社が提供するブログサービス「はてなダイアリー」を2019年春をめどに終了すると発表しました。」http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1808/30/news074.html とのこと。「はてなでは現在、はてなダイアリーユーザーのはてなブログや他社ブログサービスへのデータ移行を呼びかけています」と記事にはあるが、そんな通達なんて見た覚えが……。いや、開設した際のアドレスは今のメインのgmailでなくプロバイダのものだから、そっちに届いているかもしれない。

http://d.hatena.ne.jp/hatenadiary/20180830/blog_unify

そんなこんなで「聞いてないよ!?」とは思ったが、はてなブログ の正式リリースももう5年前だから、むしろよく維持したなというべきだろう。引っ越すつもりはあるけれど、それがいつかは今のところ考えてません。まぁ来年春だしね。平成とともに終わる、といえば格好も付くが、始まりは2003年つまり平成15年だから関係ないね。

三河島や椎名町が消えたわけ

1962年(昭和37年)5月3日、国鉄(現JR東日本常磐線三河島駅構内で「国鉄戦後五大事故」のひとつに数えられる「三河島事故」が発生した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%B2%B3%E5%B3%B6%E4%BA%8B%E6%95%85
死者160名、負傷者296名を出す大惨事で、三河島といえばイコールこの事故と直結的に連想する人も少なくないだろう。ウェブ上には「事故の影響で『三河島』という地名は無くなった」とする記事が散見された。

三河島」という地名は、昭和43年を境に消失した。鉄道史に残る大事故、三河島事故の悪夢を想起させるからという理由らしい。一つの事故が、地名を奪ったケースは他にはない。
(「暇人の戯言」2014年5月17日付)
https://blogs.yahoo.co.jp/sugoutakao/54997390.html

この事故によって三河島という地名は地図上から消えた。戦後の日本で、陰惨な事件や事故が原因となって地名が地図から消えたのは、おそらく帝銀事件三河島事故だけではないだろうか。
(「事故災害研究室」三河島事故(1962年))
http://p.booklog.jp/book/8921/page/215838

…などだ。
しかし正直わたしは「考え過ぎでは?」と思うのだ。住居表示法の施行が1962年(昭和37年)5月10日。これ以後、失われてしまった古い町名は枚挙に暇がない。三河島という地名が消えたのは(ついでにいうと帝銀事件の舞台「椎名町」の地名が消えたのも)、単にこの住居表示の実施とタイミングが重なっただけでは? ということである。ていうかイメージが悪いと言うならまず国鉄に対して駅名変更を要望するのが筋でしょ。

現に専門家は、旧三河島町域が「荒川」と改められたことについて、

しかし、この由緒ある地名は、六八年ごろ消え、三河島の中心部は「荒川」に、周辺部は他の地名に組み入れられた。静かな住宅街となった今では、「三河島」は駅名や保育園の名前などとして残るのみ。
荒川区ふるさと文化館の野尻かおる副館長は「区役所など区の中心施設がある場所を、区名の『荒川』にしたのでは」と語る。
(東京新聞「【東京通】<地名編>三河島荒川区) 三つの川に囲まれた“島”)
http://www.tokyo-np.co.jp/tokyoguide/hold/tokyo-tu/CK2008092202000171.html

としている。
そこで開いたのが『東京新地図』(1968年・毎日新聞社)だ。

この本、「住居表示のせいで馴染みのある地名と今の地名とが結びつかない!」という新聞記者の悩みから発想されたもので、新旧町名の対照法のほか、町名の由来やその歴史、文学作品、そして最近の話題などを著している。元は読売新聞夕刊・都民版の記事、1966年3月1日から翌年10月14日まで連載された。
 
その「禅寺に道灌の山吹塚 [荒川一〜八丁目]」(p364〜)は「三河島が消え、その大部分が区名を取って荒川となった」と始まる。
そして……。

その三河島が消えた理由には、こんな"家庭の事情"もあった。三河島といえば、むかしの貧民集落のスラム街を連想し、入学試験や就職、結婚などにも支障をきたす、というのである。ごく一部でだろうが、至極マジメに論議されたそうだ。

とある。あまりイメージの良くない地名だが、それは三河島事故とは全く無関係なのだ。というかこの本、そもそも三河島事故に触れていないのである。
 
一方の椎名町はどうか。こちらは見出しから帝銀事件の"舞台"消える [長崎一〜五丁目 南長崎一〜六丁目]」(p402〜)、そのうえ記事の半分以上が帝銀事件の話題で占められている。
ところが……。

椎名は秕(しいな)、つまり、みのりの悪いコメに通じ、それから転じて"シイナ野郎"といえば"できそこないメ"というわけだが、そういう軽蔑イメージがいやだ、それで消されてしまった。

帝銀事件を取り上げつつ、それはそれとして、また全く別の理由で地名が消されたと説明しているのだ。
 
無論これらの説明が必ずしも「正解」だとは限らない。ただ、短絡的発想の戒めとして受け止めるべきだとは思う。「三河島という地名は今は無い→三河島といえば(私が知っているのは)三河島事故だ→あの事故のせいで地名は消されたのだ」、「椎名町という地名は今は無い→椎名町といえば(私が知っているのは)帝銀椎名町支店だ→あの事件のせいで地名は消されたのだ」……といった短絡だ。現地感情や言葉のイメージには、広く知られていないものや死語化したものもあるのである。

『核エネルギー』というファンタジー

「『核エネルギー』というファンタジー」についての論考ってどこかにないだろうか。近年では『シン・ゴジラ』について「もしも核攻撃を仕掛けていたなら、ゴジラは『核エネルギー』を吸収してより強くなっただろう」的な感想を言う人が多いのが面白くて。

劇中で、ゴジラは死を克服している可能性があるから「核で滅却するか、矢口プランで凍結させるしか…方法はない」(=不死身だろうと核兵器なら跡形なく消せる)とも「熱核兵器の直撃、数百万度の熱量に耐えられる生物はいない。確実に駆逐するなら核攻撃は正しい選択だ」とも言っているのに。

「熱核兵器の直撃に耐えられる生物はいない」ではなく、わざわざ「数百万度の熱量」と、熱エネルギーが破壊の本質だと念押ししている。にもかかわらずそれを「核エネルギー」という神秘の力だと捉えた観客が少なくないのが面白い。

無論、文芸的には「牧・元教授は、核兵器の使用を選択したなら事態がより悪化するように仕組んでいた」とも解釈できる。けれども劇中の人物は誰一人そのリスクに触れていない。不死身だ個体増殖だ飛翔だ、荒ぶる神だとまで言われても「核攻撃では倒せない可能性」への言及は皆無で…。つまり「劇中のルール」では(ゴジラの体に都合良くスクラムに相当する機能があるのと同じくらいに)「核攻撃でも倒せた」。それが観客の視点では「『核エネルギー』を吸収して更に強くなったかも」となる。この齟齬さえ作り手が仕掛けたものであるなら、それもまた面白い。

何を突然こんな話かというと、今朝TLに ガンダムSEED の話題が流れてきて、フリーダムガンダムジャスティスガンダムが「当時のSEED最強核エネルギー搭載機体」だというので「そういやNJC搭載MSって何でどうやって動いてるか分からんなぁ」と思い出した次第。

SEED世界のMSは電童もとい電動だからフリーダムガンダムには一般的なMSの蓄電池に代えて、NJCと核分裂炉と発電装置が搭載されていると捉えるのが妥当なんだけども、そこらへんすっ飛ばして「『核エネルギー』搭載機体」と呼ばれてしまう。この「核エネルギー」もまたファンタジーのそれだなぁ、と。

鉄腕アトム原子力モーターはホントに謎動力だから良いとして、今川版ジャイアントロボエヴァンゲリオンのジェットアローンのような「原子炉を持つこと」が重要な意味を持つ話ですら「核分裂のエネルギーをどう運動に変換しているのか」の設定は詰められていないのではないか。

日本のマンガ・アニメだけでなく、バットマン映画の『ダークナイト ライジング』の核融合炉もフワッとした設定の「超パワフルだが超破壊力の爆弾にもなる超キケンな謎エネルギー源」扱いで、(核エネルギーのファンタジーは東西を問わないのだろうか?)と思った記憶。

マクロスF「ライオン」解釈

マクロスF(フロンティア)』後半の主題歌「ライオン」。ツイッターで歌詞が意味不明と言われていたのを目にしたので、少しばかり解釈を試みてみた。結論から言うと『宇宙的な因果』と対決する『個と個の運命』の歌、あるいは『不可知の因果』対『自由意思』。
 
♪星を廻せ 世界のまんなかで
♪くしゃみすればどこかの森で蝶が乱舞
「くしゃみすれば〜」はバタフライ効果「北京で蝶がはばたけばNYで嵐が起こる」のもじり。カオス理論の予測困難性を提示している。となると最初の「星を廻せ」は、以下とは対照的に「意志を持って事を起こせ」の意味と取れる。
 
♪君が守るドアの鍵 デタラメ
カオス理論的な変化、予測不能な因果は個人にも及ぶが……。
 
♪恥ずかしい物語 舐め合っても
……因果は不可知であれ、人はそれぞれ「物語」を築く。「物語」とはすなわち個人の生き様、「恥ずかしい」のは極めて私的な生身の領域に及ぶから。
 
♪ライオンは強い
「ライオン」とは勇気。私と君でプライベートを舐め合うような関係であれ、個を生きる勇気が築いた物語は不可知の因果に負けない。
 
♪生き残りたい 生き残りたい まだ生きてたくなる
不可知の因果に対する不安、そこから逃れようとするあがき。
 
♪星座の導きでいま、見つめ合った
明瞭な、信じられる、信じたい運命の導きによる君との出会い。
 
♪生き残りたい 途方にくれて キラリ枯れてゆく
あがき疲れてかすかな諦観がよぎるが……。
 
♪本気の身体 見せつけるまで 私 眠らない
……己の体、身体性を支えに諦観を超えていく。



うむ。ネタ半分というか遊びとしての「解釈」だけど、割とそれらしく書けた(でも2番は無理)。意味不明感のある「♪くしゃみすればどこかの森で蝶が乱舞」と、あまりに直截過ぎる「♪生き残りたい 生き残りたい」とを対照させて、「そもそもタイトルの『ライオン』とは何か」でつないだ……という次第。