F-104「最後の有人戦闘機」問題最終報告・補遺

http://d.hatena.ne.jp/UnKnown/20160206
最終報告と言いながら、昨日の今日で追加です。ピクシブ百科事典の「F-104(えふいちまるよん)」について。
http://dic.pixiv.net/a/F-104

「最後」?「究極」?
 
現在F-104は『究極の有人戦闘機』として知られているが、かつては(90年代までだろうか)『最後の有人戦闘機』と言う方がよく通っていた。これは「The Ultimate manned Fighter」という原語を尊重した結果と思われるが、どちらにしても「これ以上に洗練された戦闘機を作るとしたら、そこには人間が乗る余地など無いだろう。だからF-104は有人機の究極なのだ」という意味においては、どちらも同じだと言える。

雑感レベルの個人の思い付き。一顧の価値無し。
終わり。



とまぁ、本来なら触れる価値の無い駄記事ですが行きがかり上なにか書かなきゃならない。
何を書くかといったら、何故に文系スキルはここまで軽んじられるのか?というテーマで血涙流しながら一席ぶちたいんですが、それはさておきます。書き出すとマジで泣くから。
 
えー、この記事のこの部分、いきなり妙ちきりんなことを書いてます。
「現在F-104は『究極の有人戦闘機』として知られている」
えぇぇぇ!? どこでいわれてるの? どこで知られてるの???
しかしよくよく考えれば、この珍妙な言説こそが、実はこの記事全体の本質なのでした。

ウィキペディアと違って編集年月日が確認できないから断言はできませんがこの記事、F-104を「究極の有人戦闘機」としている記事に対する反論ですね。
2000年代後半から、ネット上で以下のような言説が目立ってきました。

「最後の有人戦闘機」とは、来る航空自衛隊ミサイル時代により戦闘機に代わり地対空ミサイルが主役になる事を予期していたため、当時このように言われていた。(実際には今でも戦闘機が主役)

・・・が、実はUltimate Manned Fighter(究極の有人戦闘機)を「最後の有人戦闘機」と誤訳されたのが発端。
 
http://navyfan.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-b569.html

ご存知「最後の有人戦闘機」。…まぁこれはアメリカで言われていた「Ultimate Manned Fighter」(究極の有人戦闘機)を日本の誰かがよりインパクトがあるように和訳したのが広まっただけ、という説が有力だそうですが

http://dourakuya.x.fc2.com/komatsu10.htm

余談だけど このF-104 スターファイターは、
最後の有人戦闘機といわれたけど、

これは、ultimate manned fighterを直訳したもので、

正確には 究極の有人戦闘機 なのだ!

http://blogs.yahoo.co.jp/yhmatyami2/21949291.html

F-104のキャッチコピーultimate manned fighter(究極の有人戦闘機)が何故か最後の有人戦闘機と誤訳され、今でもその誤訳が今でも流通してるのはどうにかならんかね?

などなど。
これらは前回書いたとおり、一時期のウィキペディアに「最後の有人戦闘機の呼び名はultimate manned fighterを訳したものだと言われているが、正しい和訳は究極の有人戦闘機である」と書かれていたのを鵜呑みにしたものと考えられます。

この状況を踏まえ、こういった「正しくは『究極の有人戦闘機』であり『最後の有人戦闘機』は誤り」とする言説に対する反論として、PIXIV百科事典の記事は「どちらも同じだと言える」と言ってるわけです。
全く無根拠に「オレはそう思うよ」説を書いている
ハッキリ言って無価値な水掛け論です。
60年代の戦闘機を語るのに2000年代後半の言説だけを俎上に上げているのだから一顧の価値も無い。
そもそも「『The Ultimate manned Fighter』という原語」がある、という前提で論を進めていることが全くナンセンスで、「それが本当にあったか否か、当時日本に伝わったか否か」を課題のひとつにしてきた私としては、いやもうホントに同列に扱われては堪らんです。



でも結局、こう書いたところでまず読まれないし、読んだ人にも判ってもらえないんだろうねぇ。いやホント、何故に文系スキルはここまで軽んじられるの? 「こんな調べものは無意味だ」っていうゼロの評価ならいいんですよ。実際無意味だし。でもね、あんな思い付きと同レベル扱いされるってのはゼロ以下。マイナス。