ultimate manned fighter が「超すごい」的な「究極」のはずはない

そろそろ[F104]とかタグを作ったほうがいいかもしれない、「最後の有人戦闘機」="ultimate manned fighter"? F-104の話題。とうとう国会図書館まで行ってきたんですが、その話の前にひとつ。我ながら(そして他の連中も)何で今まで気づかなかったんだ? と思うほど当たり前の話。
 
えーとですね、ultimate manned fighter の意味が「ムッチャ高性能の、最先端の、チョーすごい、究極の有人戦闘機」のわけないんですよ。ちょっと考えればわかる。仮に、F-104がこう呼ばれたのが本当だとしても、その意味するところは「最後の有人戦闘機」で間違いない。

だってそうでしょ? ムッチャ高性能の、最先端の、チョーすごい、究極の戦闘機が完成したとして、ですね。
それは"ultimate fighter"と呼べばいいでしょ?

そこでなぜ、"manned"なのか? それはつまり"manned fighter"としてはこれが最高性能、これ以上のものはないけど、manned でない fighter (つまり対空ミサイル)にはまだまだ上がある、という含みです。要するに「最後の有人戦闘機」。まぁ、仮に本当にF-104がultimate manned fighterと呼ばれていたとして、の話ですけどね。

「戦時中にはゼロ戦のあだ名が無かったとしたら、米兵はなぜ「れいせん」をZERO Fighterと呼んだのか」→ れいせんの名を知って、その上でわざわざ英訳してZEROと呼んだ〜というのは無理があるから当時から日本兵もゼロセンと言っていたと推測される……というのと同様、根っこの部分についてまず考えてみれば、最初からある程度の目星は付くものなのでしょう。なのにどちらも、かなりの程度調べた上でようやく気付いた、というのがワタクシ自身としては面白く思っています。