『ウルトラQ』と『怪奇大作戦』の間に… 蒸発人間を追う

「蒸発(人間蒸発)」という言葉が広く普及したのはいつか? というシリーズ。
http://d.hatena.ne.jp/UnKnown/20130220
http://d.hatena.ne.jp/UnKnown/20150713
まずそれは1966年から1967年頃で間違いない。この調べ物のふたつの原点は『ウルトラQ』「あけてくれ!」(1964年制作)と、『怪奇大作戦』「氷の死刑台」(1968年制作)でした。両作品はともにサラリーマンの蒸発願望を扱っていますが、「蒸発」という言葉は前者には全く登場せず、後者では何の説明もなくごく普通に使われています。

私が見つけることができた範囲では、週刊誌の表紙に「蒸発」が登場したのは『週刊サンケイ』1966年1月3日号。「狂った歳末・異常殺人と蒸発人間」という巻頭特集の大見出しが表紙に書かれていました。そして、これは前回にも書きましたが今村昌平の映画『人間蒸発』は1967年6月公開。中々いい具合に「あけてくれ!」と「氷の死刑台」の間に収まってくれてます。また、再確認し忘れてしまいましたが、1967年の雑誌記事に「蒸発という新種の事件」と書かれていたのも見ています。

ついでに、私の古いメモに「昭和40年1月15日、静岡県藤枝第二小学校、鬼岩山 人間蒸発」と書かれてましたが、これは佐藤有文『世界のなぞ 世界のふしぎ』(学研ジュニアチャンピオンコース)に書かれていた事件。ホントにそんな事件があったのか確認するつもりでメモしておいてほったらかしだった…というのはさておき、昭和40年なら1965年ですが、『世界の謎、世界の不思議』が書かれたのは1972年ですし、そもそもテレポテーションの類の超常現象なので今回は扱いません。

さて、ここからどこまで遡れるか。原因不明、動機不明の失踪が「蒸発」と呼ばれたのはいつか? また、それが「現代病」とされたのはいつか?

週刊現代』1965年7月1日号には「突然"姿を消す"現代病の恐怖」という6ページの記事があります。大見出し、および本文には「蒸発」という言葉は登場しませんが、小見出しには「突然、蒸発したK氏の謎」とあり、リードも「ある日、突然に、あなたの同僚の一人が蒸発した」と始まることから、この時期すでに「蒸発」という言葉はある程度普及していたとみられます。

この記事はまた、その「蒸発」を原因不明とせずに「心因性記憶喪失症(逆行性健忘症)」なる病気で理由づけていることが面白いのですが、それについては後ほど。

同じく『週刊現代』、2年遡って1963年8月29日号には「特集 スリラー事件」なる記事。オカルト的な怪奇現象でなく、未解決事件や不条理犯罪の特集を「スリラー」と題しているのも面白いのですが、これまたさておいて。この特集、5つの事件を取り上げてますが、その筆頭が「謎にくわれたパン工場次長」なる記事。本文中にこうあります。

真夏の湘南海岸にちかい藤沢で、歩いているうち、ふっと地上から蒸発した――と、いささか推理小説じみてくる奇怪な事件であった。

あくまで比喩として「蒸発」と表現していることから、この時期はまだ、蒸発といえばすなわち失踪事件の意味ではなかったと推察されます。また、記事は何者かがしかけた事件である可能性も匂わせており、後に「蒸発」と呼ばれる出来事とは少々性質を異にします。

これを出発点にして、順に並べ変えてみましょう。
 
■1963年/原因不明の失踪事件があり、それは「蒸発」と例えられた
 
■1964年/サラリーマンの生きにくさを背景にした、いわゆる蒸発事件を題材にした「あけてくれ!」が制作された。そこでは「蒸発」という言葉は使われなかった。
 
■1965年/原因不明の失踪事件の原因を病気で説明しようとする記事が世に出た。その病気は心因性……やはり現代社会の生きにくさ、逃避願望を理由としている。

現代――まことにもって住みにくい世の中である。(略)これがサラリーマンとなると、さらに悩みは具体的、かつ身近なものとなって来よう。(略)少しでもマシな、少しでも正常な神経の持ち主であるならば、誰だって未知の世界への逃避を試みたくなろうというものだ。
が、これは危険なのだ。逆行性健忘症が、生物の適応反応であり、不満への回避の手段の現れであるとするならば、現代こそ最もこの症状にかかりやすい時代であるといえるのだ。

また、この頃にはすでに「蒸発」はある程度普及していたとみられる。
 
■1966年/「人間蒸発」という文言が週刊誌の表紙に登場する。
 
■1967年/今村昌平監督『人間蒸発』公開
 
■1968年/『怪奇大作戦』「氷の死刑台」放映

こうして見ると、『ウルトラQ』と『怪奇大作戦』は実に微妙なタイミングで蒸発事件を取り上げていたことがわかります。特撮番組に対する興味を出発点にしても、その台詞や描写を深く掘り下げていけば、現代史の一側面を照らし出す研究に成り得る、といえるでしょう。



ごめん嘘。実は1950年代にまで遡れています。『週刊新潮』1957年7月22日号に「夏の夜のためのスリラー 理由なき行方不明」という6ページの記事が載っていました。この記事、「蒸発」は小見出しにひとつ出てくるだけなんですが、「動機のない行為」を「現代病」として把握している点が非常に興味深い。昭和でいったら32年、前年に「もはや戦後ではない」と言われ、高度成長期が始まったばかりの頃だというのに、既にこうした現代病が語られていたんですねえ。この記事についてはまた後日、改めて。