ツイッター小説の可能性

ツイッターが流行り始めた3年前に考えたことがあって、「まぁでもそのうちマトモな学者が言うだろう」とこのブログにすら書かなかったネタがあります。
ツイートはまさに呟きであり、基本的な性質は文字言語よりも音声言語に近い。「そのとき」に「その場」で発せられることに重要な意味がある。だが、「そのとき」の言葉でありながら「一回性」は失ってしまい、代わって文字言語の記録性を備えた。「その場」の言葉でありながら、「その場限り」の言葉でなくなり、印刷物のように拡散するようになった。
すなわちツイッターとは、音声言語にして文字言語なのである……というネタ。何故に一名「バカ発見器」というのかといえば、ついつい音声言語の気分で(その場限りで消えるものだという意識で)ひょいとツイートしてしまうが、実際には文字言語として保存され拡散するからなんだよー、とまぁそういう。
「こんな観点なんてどうせすぐ陳腐化するよな」と思っていたんですが、音声言語・文字言語という切り口でツイッターを取り上げる人は案外と少なくて、「あれあれ?」という感じ。そうこうしているうちにツイッターに目新しさが無くなって、あえて「ここが新しいんだ!」と語る人もいなくなってしまったようです。
そして今日、目にしたのがこんなニュース。

CNN.co.jp
ピュリッツァー賞作家がツイッターで小説を「連載」 米国
2012.05.25 Fri posted at: 15:24 JST

米ニューヨーカー誌は24日から、ピュリツァー賞作家ジェニファー・イーガン氏の最新作の小説「ブラックボックス」の連載をツイッター上で開始した。6月2日までの9日間、夜8〜9時の間に1分おきに1文ずつ投稿されるという。

イーガン氏はツイッターを念頭にこの作品を書いた。当初はこの2倍の長さだったが、ツイッターの上限140字を超えないように文字数をチェックするツールの助けも借りて1年かけて書き直したという。
(以下略)
http://www.cnn.co.jp/tech/30006724.html

試み自体は否定しませんが、なんというか、「だから何?」的な。
もっと言えばツイッターって何かわかってる?」とか。
これでは「新作をまず1話1時間のラジオドラマ全9回で発表」というのと変わらない。違いは、文字以外の情報(BGMやSE)が無いこと、再読可能であることくらいか。「1分おきに1文ずつ投稿」という原則をどれだけ保つかが肝でしょうか? 退屈な説明パートは流し読みされることを前提にして、より短い時間で次の文を投稿するとか、ハイライトシーンの直前では1分経っても投稿せずに「タメ」を作って読者を焦らしたり……。んー、そういうコントロールはやりそうな感じでないなぁ。

ニューヨーカー誌は「ブラックボックス」のあらすじを毎日ブログ上で更新するほか、全文を同誌のSF関連の別冊に掲載する予定だ。

とのこと、これもSF界隈の出来事と扱われるのだから、もうちょい何か「見ろ、これがツイッターだからできる小説だ!」的なことをやらかして欲しいものです。



蛇足ながら、私がツイッターをやらないのは、己の音声言語を信じていないためだったりします。きっとダラダラと思いつくままダジャレをツイートし続けて、それを後から読み直して自己嫌悪に陥るんだぜ(←そういう不信感か)。