忠魂碑・忠霊塔#31-2

というわけで帰ってきた。
思いがけず、泊まったホテルの前の停留所から八紘一宇塔(平和の塔)がある平和台公園までバスで1本で、楽でいいやと思ったら。


思いがけず、とんでもなく山の上で、まるで楽でなかった。マァ整備された石段で一直線だし山の上というほどではないが、平地にあるもんだとイメージしていたので。


思いがけず、というか思っていた以上に大きく、また前庭が広い。高さ37メートル、ウルトラマンにはわずかに及ばないがガンダムのほぼ2倍だ。

(以下「フリー百科事典ウィキペディア」より引用)
八紘之基柱
八紘之基柱(あめつちのもとはしら)は、宮崎県宮崎市平和台公園に位置する塔。現在の名称は「平和の塔」。また正面に彫られた「八紘一宇」の4文字から「八紘一宇の塔」ともいう。
 
塔の建造
1940年の神武天皇即位紀元皇紀)2600年を祝うにあたり、国は紀元二千六百年奉祝事業として宮崎神宮の拡大整備事業を行うことになった。
そして宮崎県当局も「紀元二千六百年宮崎県奉祝会」を立ち上げ、県を挙げて奉祝することになった。当時の知事相川勝六(奉祝会会長も兼任)は、「八紘一宇の精神を体現した日本一の塔」を作る事を提案し、実行に移すことになった。
(略)
 
戦後
戦後の1946年(昭和21年)にGHQの命により、「八紘一宇」の文字と武人の象徴であった荒御魂(あらみたま)像が撤去された。塔自体の名称も「平和の塔」となった。一時はロッククライミングの練習場代わりに使われるほど荒廃した。
やがて占領統治が終わった1962年(昭和37年)に荒御魂像が、1965年(昭和40年)に「八紘一宇」の文字が復元された。これらの復元を主唱した県観光協会会長の岩切章太郎革新政党労働組合が抗議に訪れたが、「日名子の芸術作品だから元に戻すのが当然」と追い返したという。

本音というか思想はこの際問題にしない。ただ、「芸術作品だから」をエクスキューズにするのであれば……。

もっと綺麗に復元しろよと言わざるを得ないのであった。