ディスカバー・モダニズムジャパン

国鉄という「大きな物語」】
国鉄の歴史が日本の近代史そのものだというなら、国鉄の終焉(分割民営化、JR化)はすなわち近代の終焉であり、脱近代(ポストモダン)への移行である…という観点の記事を以前に書いた(2007-09-20「国鉄の終焉、近代の終焉」)。
あれは「ふみきり戦士シャダーン」の前座であって、近代だ脱近代だってえのは本筋ではなかったのだが、それはおこう。あ、今回はああいうオチがありません。マジメで読みにくいエントリです、あしからず。

さて、そのときは「いい日、旅立ち」の歌詞をお題にして、国鉄は「日本はひとつ」という認識の精神的な支柱だった、てなことを書いた。これについては私の推測・思いこみの部分が大きく、これという論拠は無い。ただ、国鉄の旅行宣伝キャンペーンを批判する側には、「国鉄によって日本はひとつとなっている」という意識が確かにあったのである。

「いい日、旅立ち」以前、1970年に始まった「ディスカバー・ジャパン」キャンペーンに対する批判だ。

国鉄のディスカバージャパン満1年
「お嬢さん方をねらえ」 愛国心あおるの異議も
(略)
 大がかりな宣伝と日本回帰調をネオ・ナショナリズムのムード作りとみて、国民文化会議(代表日高六郎氏)のように近く開くナショナリズムのシンポジウムでディスカバージャパンをとりあげる団体もでてきた。
朝日新聞1971年11月4日朝刊)

現実をぼかす
大江志乃夫さん(東京教育大助教授、日本史) ディスカバージャパンは、旅へのいざないと同時に、現実からの逃亡へのいざないという危険な役目を果たしている。日本発見どころか、「美しい日本と私」という言葉で、日本の現実にモヤをかけてしまっている。
 私はこれを、原日本への回帰をめざす大がかりな政治的唯美主義のムード作りの一つと見る。ムード的な愛国心の土台作りをやり、頂点だけがスーッとファッショになるのが、危機的な状況でいつもとられてきた手です。
(同じく、朝日新聞1971年11月4日朝刊)

「広告「美しい日本の私」批判」丸山照雄(評論家)
(雑誌『創』1973年12月号)
まさに、それは戦後世代へむけての〈象徴天皇主義〉復権運動への路線だ
ここで論じようとしているのは〈ディスカバー・ジャパンーー美しい日本と私〉という、この国家理念形成への宣伝スローガンについてである。(略)読者諸君! 日本中を旅してみたまえ。日本中いたるところの国鉄の駅前には妙なアーチやポールが立っている。これすべて〈美しい日本と私〉のために建てられたようなものである。
 そしてあの洪水のようなポスターが次から次へと貼りめぐらされているではないか。赤字の国鉄が、観光客を狩り出すために投資しているとでも思っているのであろうか。(略)
 このスローガンには内閣調査室がかんでいるのだということを知っても、なおかつこれを笑いとばせるだろうか。赤字の国鉄がまかなう予算としては大きすぎる。まさに国定的規模のキャンペーンではないだろうか。

「わかったぞ! ディスカバー・ジャパンに隠された恐ろしい陰謀が!」「どういうことだキバヤシ!!」「国鉄は日本のスパイ機関、あの内閣調査室と秘密裡に結託していたんだ!!」「な、なんだっ(ry
『創』の記事はさすがに陰謀論と思えるが、「国鉄は政府と結託して、あるいは政府の手先として『愛国心』宣伝を繰り広げている」という疑念自体は、当時は決して少数のものではなかっただろう。国鉄とはそうした存在、そういうふうに見られる存在だったのだ。

さて、以前にも引いたとおり、中曽根康弘にとって国鉄分割民営化の目的は、国労の解体であった。だがそれは、裏を返してこうともいえるのではないか。「国労は自らを犠牲にして、国家主義の尖兵たる国鉄を道連れに滅ぼしたのだ」と。なんという革命か。巨視的にみれば、彼らは勝利をおさめたのである。