JR東海浜松工場〜堀留ポッポ道

静岡旅行の続き。
鴨江旅館街というのは駅からけっこう遠い。ここまで来たのだから……何かついでに見るものはないかしらん? とスマホGoogleマップ(アンドロイドなのである)を開く。

【1】が鴨江旅館街の南端。ふむ、引込み線があるな、ちょっと見に行ってみるかと【2】を目指して歩き出す。
だが、地図には鉄道路線が描かれているものの、実際には既にレールははがされ、用地は目隠しのフェンスで囲まれていた。

その用地に沿う歩道には鉄道史をたどるようなタイルが埋められており、ある種のモニュメントとなっていた。鉄道開業から始まり、EF58の「つばめ」運転開始、新幹線開業といったタイルがあって……。

「2004年(平成16年)予定 磁石の反発力で車体を浮かせ、磁石の吸引力で走らせる、リニアモーターカーの研究が進んでいる」……。9年前にもうリニアモーターカー東京〜大阪間は開業していたはずなのか。いつ作られたタイルなんだろうこれ。

引込み線が無いなら工場まで行ってみるかと【3】へ移動。この左側はJR東海浜松工場なのだ。こちらも引込み線は既にはがされ、踏切だったと思しき部分は埋められていた。

工場敷地内。一両だけの新幹線車両が見えた。

トラバーサ(鉄道車両を載せて平行移動する機械)が真新しい。浜松工場は建て替え工事の最中だった。それと併せて、従来は引込み線経由で入れ替えをしていたのをトラバーサに替えた?

【4】の位置から先は、さらに古い引込み線の跡ですでに道路になっている。矢印の少し先で遊歩道として整備されていた。
案内板による説明は以下のとおり。

堀留ポッポ道
この緑道は国鉄浜松工場線の跡地を利用して延長約460mを整備したもので、(略)園路にはタイルで汽車と線路が描かれポッポ道を感じさせてくれます。


ポッポ道というだけあって、汽車ポッポ、蒸気機関車が静態保存してあった。

ケ91タンク機関車
このケ91は大正7年(1918年)に国産初期の軽便機関車で大日本軌道会社が製造し東濃鉄道岐阜県美濃太田〜多治見間)を走っていた。その後廃車となり、国鉄浜松工場に静態保存されていた物です。
原文ママ

現地の説明板には書かれてないが、東濃鉄道は現在の太多線の前身である。
このポッポ道、元は東海道本線から分かれて浜松工場に至る線路だったのだから、逆にたどれば浜松駅にたどりつく道理だ。かくして浜松駅から帰途についたのだった。



これにて静岡旅行レポートはおしまい(この後さらに清水に寄り道したりもしたが、これといって書くことは無し)。色々な場所に行って色々なものを見た気でいたが、こうして整理すると乗り物(鉄道・車・軍用機)と近代建築だけだな見事なまでに。
誰のためでなし自分が楽しければそれでいいんだが、それにしても木下恵介記念館に入館して木下恵介関連の展示も見て、でも何一つ覚えてないというのはさすがに問題な気がする。もーちょっと興味の幅を広げないとマズいよねぇ。

<3月1〜3日の静岡旅行レポート>
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インターミッション
「天浜線気賀駅の周辺」 「奥山線の遺構【金指、亀山トンネル】」
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