国家は僕らをまもらない・補足

国家は僕らをまもらない―愛と自由の憲法論 (朝日新書 39)

国家は僕らをまもらない―愛と自由の憲法論 (朝日新書 39)

(承前)なんか私がウラタロス並の釣り人みたいな展開になっちゃいますが、

>あー憲法とかそういうとこはノーコメントで(苦笑)
>低学歴の阿呆なので。

ここらへんはやはり、きっちりフォローしておくべきと判断しました。色々と悩んだのですが、私は「各論に疑問、文章表現には激しくNO! でも総論には賛成」なので。
著者の問題意識はこんなところにあります。

僕たちは世代を超えて「庶民」でいることが大好きだ。
政治家や企業のトップの金銭感覚は「庶民にはついていけない」。
「庶民」には難しいことはわからないけど、エリート官僚と政治家さんにきっとなんとかしてもらえるだろう。
こうして自律的個人、市民、主催者としての責任は容易に放棄される。
「弱者ぶりっこ」は楽でいい。
そして「庶民」でない人たちが政治・行政・経済を支配し、汚職に象徴される不正の温床ができあがる。
(「私の本棚-43- のそのそ日記」http://yaplog.jp/marble47/archive/270より孫引き……すみません)

つまり著者が「読んで欲しい」と思っている人とは、まさに「庶民」≒「低学歴の阿呆」を自称し、「難しいことはわからない」から「憲法とかそういうとこはノーコメント」と個人としての責任を放棄するような人、なんですよ。そういう人たちに「それでいいの?」と、本来の立憲主義を伝えようとしている。

憲法は、国民をまもってくれる「頼れる味方」で、国民はみんなが従うべき重要なルールである…。僕らはこう考えがちだけど、答えはNO!である。憲法とは、国家=権力に余計なことをさせないための規範である。人権は国家=権力に余計なことをさせないことでまもられる。そのためには、国民は自立した個人であることが求められる。改憲勢力は、この憲法の根幹を大きく変えようとしているのだ。
http://d.hatena.ne.jp/rakuten/book/12041479

でもって、そうした人たちに何とか受け入れてもらいたい、と著者は必死の工夫を重ねています。実際、その工夫はかなりの程度実を結んでおり、読みやすい本になっていると評価できます。だからまぁ、興味が無いなら無いで仕方ないけれど、とりあえず一読されたほうがいいのではないでしょうか。読んだ後でなら、何をどう批判するのも、場合によっては破り捨てるのも、それは構わないでしょう。

もちろん、様々な工夫を重ねているのに、それでもなお「読者を見下している感」が看破されてしまうとの問題は、決して小さなものではありません。ただ、それは著者個人のみの問題ではなく、日本における「思想」の限界だとも思えます。今回のエントリの引用部分にしても、言ってしまえば「責任を放棄する代わりに、難しいことを考えずに過ごす生き方」を根本的に見下してのことですし(結果、不正の温床ができあがろうと庶民の生活にさして影響は無いのにね)、その生き方に価値を認めたら著者のいう立憲主義は成り立たないんですよね (限界を突き抜けようとすると「つっこみ力」のような痛々しい大衆迎合主義になってしまう、とは余談)。

私は私なりに慎重に書いたつもりだったんですが(「表現に関しては私個人の趣味に合わないし、著者の言うことのおかしさも見えるけれど、主題と思想の価値は認めるし、他人にも薦められる内容である」という基本線は維持していた…はず)、結果ああしたコメントが着いた以上は、それこそ個人として責任を取らなきゃなるめぇよ、てなお話でした。