国家は僕らをまもらない

真に強大な国家をつくろうと思ったら(略)『自由な精神的独立人』の結合体がよいのである。(p238)

「あなたならその国家をなんて名付けますか?」
スタンドアローン・コンプレックス」

国家は僕らをまもらない―愛と自由の憲法論 (朝日新書 39)

国家は僕らをまもらない―愛と自由の憲法論 (朝日新書 39)

「気鋭の法学部教授が人気ドラマやアニメを題材に、立憲主義の思想と現行憲法の真価をわかりやすく解説」と新聞で小さく紹介されていたが、その作品タイトルが書かれていない。時期からして『DEATH NOTE』を題材に「キラを裁ける法とは?」とかいうネタだろうと思って買ってみたら、パタリロ!』に『Dr.スランプ』だった。なんだこりゃ(もちろん『攻殻機動隊』への言及も無い)。
 
主題はまず正論で、私にとっては、日常生活とか大雑把な近代史の知識とかから感じていた「国家は僕らをまもらない」という認識を、立憲主義という思想面から語り起こした本として一応の意義はあった。全体に、著者が読者として想定した「ごく一般的な日本人」があまりにも低レベルではないかとは思うが、一方で「確かにこんなレベルから語り始めなければならないかもなぁ」と、民度の低さを改めて知らされる思いもする。
 
ただ、それはそれとして、何度となくゴミ箱へ投げ入れたくなったのが正直なところ(つか、これ書き終えたらゴミ箱行)。憲法学者でありながら(だからこそ、かもしれないが)感覚的な表現とそれに基づくたとえ話が多過ぎで、とにかく鬱陶しい。
  
導入部、フランス料理店のエピソードから始まるあたりから「ダメだこりゃ」感はいきなりクライマックスだ。フランス料理は最後まで何かと例えに出てくるのだが、感覚表現優先の我田引水な例え話だからかえって話の本質が見えにくい(その姿はまるでJR北海道DMVのようだ)。本の全体構成の説明を「メニュー紹介」とか言い出したときにはマジで破り捨てるところだった。
 
第1章は木村拓哉が検事を演じた「HERO」を題材にして始まるのだが、ここの冒頭のキムタクの「目」がどうこうって「感想文」がもう……。

……すみません、引用しようと読み返したら、反射的に破り捨ててました。体が拒絶しちゃいました、この部分。
 
気を取り直して第6章、こんな書き出しで始まる。

僕は文学が嫌いだった。文学というのは、自立できずに人に寄りかかる寄生虫のような人間が、他者にかける迷惑を正当化するために、ああだこうだと言葉をいじくって言い訳するためのものだと思っていた。弱さを「人間の本質」といいかえ、「時代」のせいにして、それを「鋭くえぐる」。そうでなければひたすら「性の深淵」を描いてボロ儲けする。言葉は「言霊」だ、などといって言葉を神聖視し、言葉に責任転嫁するような弱さも大嫌いだ。

はいはい、ありがちな文学に関する誤解ですね。誤解つかまぁ実際、文壇の定義する文学ってのはおおむねこんな調子だよね。で、ここからその誤解が改まる話なんですね?

こんな文学嫌いの石頭に、「そんなのばかりじゃない」と気づかせてくれたのが山田詠美さんだ。彼女が描く人物たちは、飲んだくれのぐうたらだろうと、ひたすら夜遊びのお姉さんだろうと、自分で自分の人生を苦悩しながら自由に生きる、格好いい人たちが多い。山田さんの紡ぐ言葉は、その場の匂いにいたるまで、すべてを描きだす。

??? ハァ? これってつまり、読み方それ自体には何の進歩もないまま、たまたま感覚に合う山田詠美作品に出会ったってだけでしょ? 文学に対する理解が深まったわけではない。試みに、著者のレベルに合わせて「山田詠美作品が嫌い」との感想を書いてみよう。

僕は山田詠美作品が嫌いだ。山田詠美は、飲んだくれや夜遊び女が、他者にかける迷惑を正当化するために、ああだこうだと言葉をいじくって言い訳してるようなものだ。「その場の匂いにいたるまで、すべてを描きだす」などといって「紡ぐ言葉」を神聖視するファンも大嫌いだ。

このとおり、何の進歩もしていない。「そんなのばかりじゃない」との認識は、単に個別の作品の問題でしかないのだ。
 
第8章、ゴルフ場が「お遊びのために山を切り開いて、芝を敷いて農薬をまき散らした」ものという認識があるくせに、テメエ自身ゴルフに興じているという言行不一致にも反吐が出る。「ボクはその事を承知の上でゴルフをしているから、『ゴルフは自然が楽しめる』とか言う無神経なゴルファーを批判する権利があるんですよ」とでも言うのか? ゴルフ場嫌いの立場で見れば同じだよ、テメエもな。…っと、言葉が汚くなってしまった。
この、間接的とはいえ自分自身が自然破壊に加担しつつ、他人の無自覚を糾弾するという態度は、『「総玉砕」すべき「一億」国民の中に指導者の一人である自分自身を含めない岸信介』(p212)と同じである、といったら言い過ぎだろうか?
 
そのほか、「学生さん」など、全編にわたる無闇な「さん」付けも気色悪いし(穏当に言えば「慇懃無礼に思える」)、とにかく性に合わなかった。ただ、人に薦められるか否か、でいえば「憲法立憲主義に興味があるなら一読の価値はある」程度に評価している、とは書いておく。また、もちろん、この著者のセンスを許容できる人も世の中には少なからずいるわけで、そうした人には何の問題も無い良書であるとさえいえるだろう。