煉瓦形コンクリブロックで新情報(松本電鉄社員寮関連)

私には一年以上の課題となっている「松本電鉄社員寮」とその建材、煉瓦形コンクリートブロックの件。
http://d.hatena.ne.jp/UnKnown/20150120
http://d.hatena.ne.jp/UnKnown/20151031
http://d.hatena.ne.jp/UnKnown/20160111
ふいと思い立ってググったら色々と「新情報」に行き着いた。

『HETIMA DIARY』2012/11/26付「岩瀬隧道 – 鎌倉隧道めぐり」
谷戸ノ前隧道から150mほどのところにある岩瀬隧道。両者ともに今泉と北鎌倉方面をショートカットする市道に位置し、比較的交通量の多い隧道です。
(略)
入り口周辺はレンガサイズのコンクリートブロックが煉瓦と同じように巻き立てられています。
(略)
 
http://www.hetima.net/blog/archives/5423

どうもトンネルに関しては、「レンガサイズのコンクリートブロックが煉瓦と同じように巻き立てられて」いるものが少なくない模様。この鎌倉の岩瀬隧道のような現役トンネルも決して珍しくはないようです。
今回の検索でヒットしたのはトンネルだけではありません。

『九州ヘリテージ・雑記帳』2010.11.24付「川走川第一発電所
 馬見原発電所に続き、五ヶ瀬川水系の日窒(旭化成)関連発電所巡りの第二段は川走川第一発電所です。馬見原発電所に遅れること約1年後の大正13年に着工し、昭和2年に完成した川走川発電所。馬見原発電所と同じコンクリートブロック造の建屋は、その構造もほぼ同じとのこと(熊本県近代化遺産総合調査報告による)。
(略)
馬見原発電所のコンクリートブロックは現場で製作されたとのことなので、川走川発電所も同様に現場で製作されたものと思われます。
(略)
 
http://blog.kyushu-heritage.jp/?eid=953249

おお! はるか九州に現役の建物が! それも松本電鉄社員寮…松本電鉄西松本変電所と同じく電力関連の施設です。
そしてもっと目を引くのが「現場で製作された」…!? そらまあ焼かなきゃならない煉瓦と違って型枠さえあればそこにセメント流し込んで作れるだろうけど、現場でその手間かけられるなら、鉄筋入りなり無筋なりのコンクリート造にすればいいのに、と思ってしまう。

ただ、これで高知で見かけた塀の印象、「見比べると松本のもののほうが緻密で、高知のものは何というか大ざっぱ」の理由も推察される。実際どうかはさておき、松本電鉄社員寮に使われているのはメーカー製、高知の塀のものは「現地製作」という可能性を考えます。
また、軍事施設にも煉瓦形コンクリートブロックを使った建物があった旨のブログ記事がヒットしました。

『べーさんの近代化遺産めぐり備忘録』2009年11月23日付「舞鶴・倉梯山防空砲台」
11/23に行われた舞鶴の戦争遺跡見学。午前中は倉梯山の尾根上一帯にある防空砲台の探索。
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事前に見た写真では煉瓦造に見えましたが、良く見ると、セメントを煉瓦の大きさに作ったものを積んでいる建物でした。
いわゆるコンクリートブロックなんだろうけど、煉瓦の大きさに合わせたブロックは初めて見た気がする。昭和期にコンクリートブロックの建物ってのは現存したりしてますが、ブロックはもっと大きく、積み方も煉瓦建築とは全然違いますし。
 
http://blog.livedoor.jp/besan2005/archives/51368002.html

私と同じような「発見」をしています!!
しかもさらに続けて…。

※このセメント製の煉瓦ですが、質問をした近代建築MLの方から
「セメント煉瓦」というのがあると教えていただきました。
主に小野田市で生産され、寸法は通常の赤煉瓦と同じ。
野田市ではセメント煉瓦はメジャーで、良くつかわれているとのこと。
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ここのセメント煉瓦はスカスカな感じで持った感じも軽く、脆いです。セメント煉瓦は脆く耐久性が低いので、小規模な倉庫などに使用するらしく、頑丈さが要求される砲台になぜ使用されたのか不明。
こちらに、類例と思われる遺構を紹介したサイトがありました。
http://underzero.net/html/tz/tz_414_2.htm
http://underzero.net/html/tz/tz_396_2.htm

と、「セメント煉瓦」なる通称や「小野田市ではセメント煉瓦はメジャーで、良くつかわれている」「脆く耐久性が低いので、小規模な倉庫などに使用する」といった具体的な使用例の話まで得ることができました。
ただこの要塞、「昭和16年から昭和19年にかけて建設された」という。となると私の仮説「関東大震災で煉瓦建築の耐震性の低さが問題になったため、以後は煉瓦と同様にセメント煉瓦も使われる機会が減った」という見方も誤っていたことになりかねない……。まぁ昭和に入ってからは煉瓦造が減ったのは事実だから、この要塞のほうが例外なのでしょう。

ともあれ、「小野田市ではセメント煉瓦はメジャー」というなら関東圏では秩父近隣に残っていたりするのかもしれません(秩父で見た覚えはないけど)。そこらへん含めて、煉瓦形コンクリートブロック、いやセメント煉瓦の調査は新しいフェイズに突入しました。