読売新聞秋田版連載「探訪 近代化遺産」

【6月の東北旅行関連エントリはこの文字列をクリック】といいつつ今回は旅そのもののレポートでなく、関連記事のURLを貼っておく。
読売新聞秋田版で2010年に連載された「探訪 近代化遺産」、阿仁鉱山の回。

栄華知る住民 伝承は使命
阿仁町北秋田市)の人口は、かつて1万人を数えた。映画館は3つもあり、町はずれには遊郭もあったという。人口が半減した今では信じられない話だが、それを支えたのは町の中心部を囲む六つの山からなる阿仁鉱山だった。

国道105号から阿仁スキー場に向かって開かれた県道を東へ進むとすぐの所に、最後まで稼働していた小沢鉱山がある。

その名残を感じることが出来るのは、県道から1本入った市道沿いにある選鉱場のみ。立て札もなく、わびしいコンクリートの建物は、緑に身を隠すようにひっそりとたたずむ。

「この道に沿って、鉱山の社宅があったんだけどねえ」。坑内作業員として働いていた斉藤宏一さん(81)でさえ、かつてここが自分の職場であった形跡を見つけるのが難しい。
(略)
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/akita/feature/akita1276092555086_02/news/20100612-OYT8T00156.htm

とまあ、かつての従業員にさえわからないほど変わっているのだった。

(略)
だが旧阿仁町の中心部に目を向けると、「鉱山の町」だったことが、はっきりと分かる。鹿鳴館ニコライ堂に先駆け、鉱山のドイツ人技師の官舎として1882(明治15)年に建築された洋館の「異人館」があり、その隣の伝承館には、鉱山の歴史を伝える資料が収められている。
(略)

いやいやいやいや、その異人館と、あとは宮越家しか無いのが問題なんだって。
同じ「探訪 近代化遺産」シリーズで「小坂鉱山」も取り上げられている。2010年という時期から「昨年、鉱山の繁栄を支えた小坂鉄道が廃線になった。旅客を運ばなくなった後も、鉱山の副産物だった硫酸を運び続けていたが、ついに「終わりの時」が来た」と、小坂製錬小坂線を話題の中心にしている。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/akita/feature/akita1276092555086_02/news/20100609-OYT8T01149.htm