とさでん交通#3/四国旅行#14

9月の四国旅行についてのエントリはこちらからどうぞ。
http://d.hatena.ne.jp/UnKnown/20150922#p1
 

伊野から電車に乗ってはりまや橋方面へ。途中、県庁前停留場で降りて高知城などを見たがそれについては後ほど。

再びはりまや橋の交差点。ここは一日見てても飽きないだろうなー。

市街中心部は道幅が広く、軌道用地も十分に確保されているのだが、国分川を渡った途端にこれである。レールぎりぎりまでアスファルト舗装、こんな区間が結構な長さで続く。自動車が白線からはみ出して走っていたなら当然ながら電車にぶつかってしまう。道幅が十分に取れない、という事情はわかるが、だったらレールとレールの間まで舗装したほうがいいのでは……。これでは脱輪のリスクまで生じていると思える。

ちょっとだけ車両の話。3車体連接の超低床車両100形は1編成のみが在籍。現代的なLRT風車両だが、これもデビューは2002年で既に10年選手である。

文殊通停留場。西に向かう伊野線が、終点は伊野であっても鏡川橋止まりの運行が多いのと同様、東に向かう後免線も途中の文殊通か領石通までしか行かない運行が半数以上を占める。そして伊野線の鏡川橋と同様、文殊通はターミナルでありながらごく普通の停留場の装いなのであった。

そしてこれが終点、後免町停留場。

後免町停留場はバスターミナルと一体となっており、敷地は広々としている。うろこ雲とローソン色の車両との取り合わせが好ましく思えたので、やや大きめの画像も上げた。クリック→クリックで拡大表示。
この画像で右側の建物は待合室だがローソンと一体になっており……。

ローソンの看板とローソン色の車両とをワンフレームに収めることもできる。

すぐ近くには土佐くろしお鉄道後免町駅。始発駅の後免を発ったかと思うと次は後免町、というまぎらわしい名前なのだが、これには色々と複雑な歴史があったりする。

……とさでんの前身である土佐電気鉄道のさらに前身の高知鉄道が、ルート的には土佐くろしお鉄道線の前身である安芸線(廃止)の駅として、現在の後免町駅の位置に後免駅を開業したのが1924年12月。ところがその1年後の1925年12月、JRの前身である国鉄のさらに前身である鉄道省線・土讃線の駅として、現在の後免駅の位置に後免駅が開業する。後免駅がふたつあるのは都合が悪い、というわけで後免駅開業の4カ月後の1926年4月。先に後免駅を名乗っていた高知鉄道の駅が、省線にその名を譲って、後免町と改称したのである。……

そんな歴史的経緯を一切無視して「ごめん駅とごめん町駅ではまぎらわしい」からと「ごめん町駅の愛称をありがとう駅にすれば」と提唱したのは、故やなせたかしである。

その「愛称 ありがとう駅」、高架駅だが無人なのでちょっとホームに上がってみた。「地形に左右されない一直線の無機的な高架線、しかし単線非電化」というのは、これはこれでローカルな風情がある。

とさでん完乗を果たして、はりまや橋方面へと戻る。中心市街では道の真ん中を行くが、レールに車の進入を許さない専用軌道となっている。夕方のラッシュでギュウギュウ詰めの自動車どもを横目に見て、電車は悠々と走る。これぞ公共交通のあるべき姿!