東北旅行#6/三陸鉄道南リアス線〜盛〜BRT大船渡線

7月20日の東北旅行の話の続き。
はまゆり1号は10時51分釜石着。駅構内の一角ではC58型蒸気機関車が煙を吹いていたが、それには目もくれず(気にならないわけではないが時間その他の余裕がなかったのだ)三陸鉄道南リアス線ホームへ。

盛行は10時57分発。全線運転再開からまだ間がなく人々の関心も高いのだろう、一両だけの単行運転ということもあって車内は大混雑。「他の乗客に体が触れるほどではないが身動きはとれない」くらいの混み具合だった。

おまけに20日は天気が悪く……。

車内放送「左手に沿線随一の景勝地が見えてまいりました」
見えません。


車内放送「沿岸地域では復旧工事が進んでいます」
見えません。
乗車中は万事こんな調子。自動アナウンスだから天候や車内の状況を考慮した内容変更ができないのだった。私のデジコンは窓ガラスを感知してしまい、そこにピンを合わせてしまうこともまともに撮れなかった原因なのだが、ならばデジイチのMFモードで撮影を……と思ったが、バックパックからそれを取り出すこともままならないほどの混み具合だったのである。
 
南リアス線の列車(単行だろうと列車)は11時56分盛駅着。JR大船渡線はこの駅構内からBRT(バス・ラピッド・トランジット)化されており……。

左から、駅舎があって、その傍らにはまず道路(専用バスレーン)があって、そして線路があるというちょっと珍妙な構内構造になっている。

貨物専用線岩手開発鉄道のホッパー車が並ぶ。

アングルを変えて構内。

踏切でアスファルト道と交差する、というのもちょっと不思議な感じ。

JRと三陸鉄道の駅からちょっと北に進む。
このこぢんまりとしたホームと待合室は……。

これも岩手開発鉄道の施設。1992年まで旅客営業も行っており、その頃のホームが今も残っているのだった。ただしウィキペディアの「岩手開発鉄道日頃市線」の項に掲載されている写真(2006年10月9日撮影)には写っている、待合室入り口上の駅名表示は無くなっている。


盛の街中には意外にも、といっては何だが古風な建物が点在。



中でもこの洋館は、小規模ながらも凝った建築で、おそらく由緒あるものだろうと柵越し、植木越しに何枚か撮影。

大船渡市: 旧佐々木医院
旧佐々木医院は大正元年(1926)に建てられた木造2階建ての洋風建築です。近くにある旧盛はリスト教会同様に寄棟、瓦葺で棟飾りが付いています。外壁は下見板張りで縦長の上げ下げ窓を採用して当時の洋風建築の特徴を呈しています。隣には大正7年(1918)に建てられた石造の洋風蔵がありブリッジで繋がれています。
 
岩手県の町並みと歴史建築』
http://www.iwatabi.net/morioka/oofunato/sasaki.html

とのこと。

盛からの移動は、JRの大船渡線ただしBRTに乗車。13時45分発。

まぁなんというかバスなんだけど、専用レーンを進む分には快適そのものだった。なし崩し的採用とはいえ、こうして実績ができてしまうと「ローカル線は廃止してBRTに置き換えよう」という声も(主に鉄道事業者側から)高まるのではなかろうか。

鉄道の代替なのに、遮断機に行く手を遮られる。これは、この専用レーンに一般車両が入ってこれないようにするための措置らしい。

単線分、車線一本分の幅しかないので途中駅での交換がある。「閉塞」の代わりは車両接近感知センサーと連動した信号が赤を現示するなどして、流れを調整しているようだ。

BRT大船渡線の腕章。BRTは現状で3線で、路線ごとに変えているのだから結構な凝り方だ。

途中から専用レーンは作りかけ状態、バスは一般公道に入る。そうなるともう、ただの「停留所の少ない路線バス」状態であまり有り難みはない。ただ、鉄道では無理だった(その敷地を利用した専用レーンでも無理な)「病院の入り口の間近で発着する」といった運用が可能なわけで、交通弱者の支援としては、区間の一部が公道経由だというのは重要なのかもしれない。