Gのレコンギスタに思う、日本とセカイと世界

テレビブロス』誌8月2日号掲載の『Gのレコンギスタ』に関する富野由悠季インタビューを読んで思ったことなど。

発端のお話は簡単で、生きている間にやれることはやっておかねば、と思ったからです(笑)

風立ちぬ』には一言も触れてないしアレを見てどんな感想を抱いたかは推し量ることもできないけれど、「ぼくも引退作を作らないとなぁ」と思ったのだろうと思う。

宇宙エレベーターを物語の舞台の中心に据えることで、敵味方の関係性や世界観の在り方がこれまでの『ガンダム』の作品群とは、また違ったルックスになるんじゃないか、と。

トミノ監督、宇宙エレベーターに随分ご執心&自信満々だが、インタビュアーなどは「いえその設定、『ダブルオー』で既にやってますよ?」とツッコミを入れたかったんだろうなと思う。物語のもう一つのカギ、「無尽蔵のエネルギー」もすでに太陽炉があるしなぁ……。トミノ監督が他人の『ガンダム』を見ないのは別にいいのだが、そこらへん指摘できるブレインがいないの? とちょっと心配。

とまぁ、インタビューについては「いつものトミノ監督で安心しました」というのが感想で、かつ、皮肉でも何でもなく純粋に『Gのレコンギスタ』は楽しみになってきたのだが、一点、監督の真意とは無関係に引っかかったことがある。

それまで”脱ガンダム”の設定ができなかったのは、スペースコロニーという設定をリアリズムだと思っていた部分があったんです。

監督発言はこの後、アニメはファンタジーである(べき)論になるのですが、私はむしろ「今はなぜリアリズム……リアリティでなくリアリズム=現実主義だと思えないのか?」を考えてしまった。

何故かといえば、「増え過ぎた人口を宇宙に移民させるように」なるという未来が、人口減少が進む日本ではイメージしにくいから、なんだよねごく単純に言って。

ところが一方、世界全体で見れば人口増加はいまだに爆発的というレベルで進行している。これから先の未来を語るなら、そのギャップを認識しないことには始まらないし、ギャップこそがドラマを生むだろう。日本人の視点では、あえて酷いことを言うけど第三世界の人口増加なんてただ過剰なだけの生命で、現代こそギレンの「せっかく減った人口です」という意識が広く共有される時代じゃないか。

なんだけど、トミノ監督は無邪気なまでにアフターワールドを、箱庭的なセカイを舞台にしてしまって(スペースコロニーのある世界の前提である人口爆発が解決したセカイを舞台にして)、しかも「この作品は、この先50年は生き残る作品だと自負しています」とまで言っている。

そうした「リアリズム」のギャップを『G−レコ』は乗り越えられるのか、それともコケるのか(いろんな意味で)? そのあたりにも注目していきたい。



あ、それとインタビューとは別の作品解説は富野「ガンダム」しか取り上げていないため、まるで正暦(「∀ガンダム」の世界)の過去には宇宙世紀リギルド・センチュリーしか無いように見えるのがちょっとイラッ。