すっかり間が空いてしまったが、4月5日の旅行の話の続き。富岡製糸場(http://d.hatena.ne.jp/UnKnown/20150414)の後は、上信電鉄で終点の下仁田に向かった。
下仁田には一度、2009年の6月にも行ったことがある。
http://gray.ap.teacup.com/unknown/383.html
駅の待合室の「上毛かるた」、「ねぎとこんにゃく 下仁田名産」は今も健在だが今回は撮影せず。上毛かるたといえば「耶馬溪しのぐ吾妻峡」はマジでどうするんかね?
駅前にはおなじみの「マルツウ」の営業所(地区通運の上信通運下仁田営業所)もこんな古風な建物。
駅前からちょっと東に行くと、こんなレンガ倉庫がさり気に建っていた。おそらく現役。
いっしょくたに「古いもの」と扱うのははばかられるが、今どきなかなか見られないタイプのコンクリート製ゴミ箱と防火用水。
6年前に行き当った「撞球場」(撞の字が微妙に異なる)すなわちビリヤード場は今も健在。といってももちろん、営業はしていない。
「○(しめすへん、つくりは不詳)王ホール」。王でなくて「玉」かもしれないがいずれにしても意味不明。
「○王ホール」の軒下、ドアの上にはめられたガラス板は「高橋写眞舘」「三河屋」と読める。いずれ廃物利用なのだろうが、いつの時点で嵌められたものなのだろうか。まさか店舗として営業していた当時からこれとは思えないが……。コピペ
色付きガラス。前回の訪問ではすべてそろっていた窓ガラスだが、残念なことに一部割られてしまっていた。
ただ、そのため、中の様子を見ることもできた。ビリヤード台が2台、左手壁際の一見すると液晶テレビのようなものは点数計算盤。使われてないのは確かだが、といって物置にされているわけでもなく、陳腐な表現だがまさに「時が止まったような」空間だった。
下仁田というのはかつて中山道の脇往還の宿場として栄えた町で、今もその面影を残す。
ただ、それを観光資源として生かすつもりもないようで、ただ古いだけの町になりつつあるのが心配。