静岡市電の廃止理由

静岡旅行の話。とりあえず書きやすい話から書いていこう。
静岡市文化財資料館で開催されていた「「昭和・静岡」写真展」、写真それ自体はいずれも興味深く拝見したのですが、その説明文にオヤと思うものがあった。
http://www.city.shizuoka.jp/000672628.pdf
静岡鉄道静岡市内線(以下、静岡市電)の廃止直前の写真に添えてこう書かれていました。

昭和37年9月14日
高度経済成長とともにモータリゼーションの急速な発達に対し、道路の真ん中をゆったりと走る路面電車は、自動車の通行の妨げとなった。

などという紋切り型の説明なんですが、これが一見しておかしいのですよ。
誰だっておかしいと思うはずだ。肝心の写真では、電車は全く「自動車の通行の妨げ」になどなっていないのだから。場所は中心市街、子供たちが歩いているから極端な早朝などでもない。上のURLのPDFファイルのチラシに入っている「松坂屋裏を行く路面電車(昭和37年)」の写真を見てもわかることと思います。

んで、実際どうだったのよと大宅文庫で当時の記事などを探ってみたのですが、あいにく静岡市電を直接取り上げた記事は見つからず。ただこの時期、世界的に路面電車の廃止が進んでいて、既に「古くさいもの」「自動車の通行の邪魔」というイメージをまとっていたのは間違いなく、日本でも各地で廃止が検討されるようになったようです。

その一方、1960年(昭和35年)6月25日に制定された道路交通法は逆に「クルマは路面電車の邪魔をするな!」としてますし(MAKOTO's HOMEPAGE「車の通行と路面電車」)、また、当時既に東京への人口集中が問題となっていて、廃止か否かが雑誌で取り上げられるのはもっぱら都電。大阪や神戸などでは道路に余裕があって路面電車もスムーズに走っているがそれに引きかえ東京は……といった論調の雑誌記事も見られました。

その東京ですら、都電の本格的な路線縮小(第一次都電撤去)は1967年(昭和42年)から。その他の都市も大体そんなところで、大阪市電こそ1962年(昭和37年)に路線縮小が始まっているけれど、同年に静岡市電が廃止というのはいかにも早い。

どうも直接の理由は、静岡市議会で「静岡市内線廃止勧告決議案」が決議されたことらしい。

http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=310400&id=16291165
 
2008年07月12日 22:08
去年、静岡鉄道の古参職員の方から聞いた話です。
ある日、静岡市から
静岡市内線(昭和37年廃止)を何故廃止したのか」と電話が来たそうです。
理由は[5]ではてなさんが書かれているとおり、
> 自動車交通の増加により、路面電車が邪魔になったことです。
なのですが、当時の静岡市議会で
「自動車の邪魔になるような時代遅れの路面電車なんか廃止してしまえ」
と、静岡市内線廃止勧告決議案が採択され、それによって廃止させられたんだそうです。
「自分らで廃止させといて、今頃何言ってやがる」とその職員の方は憤慨しておられました。
 どうやら静岡市でも静岡市内線の廃止を後悔しているようですね。

路面電車不要論が世界的に盛り上がる中、現実にはまだ通行の妨げというレベルでなかったにも関わらず、そして交通量や利用者について確たるデータや細かな試算も無いままに、そのビッグウェーブに乗ってしまっただけではなかろうか?

ただ、「静岡市内線廃止勧告決議案」でググっても上記の発言以外はヒットしないし、大宅文庫にもこれという資料は無し。あとは静鉄の社史を当たるべきところだが、それでどこまで情報を得られるか。

となればあとは地元の図書館、資料館に問い合わせるという手が残るのみ……なんだけど、そもそもの発端が静岡市文化財資料館なのでした。

雑誌やウェブサイトならば何も考えずに「モータリゼーションで〜路面電車はクルマの邪魔に〜」という紋切り型の説明でもいいでしょうが、市の文化財資料館であるならもうちょいきっちりして欲しいものです。