箱根直通電車を知らなかった小林一三

ずいぶん前に出た『昭和の鐵道と旅』を今さら開いた。

昭和の鉄道と旅 (AERAムック)

昭和の鉄道と旅 (AERAムック)

このムックに、『週刊朝日』昭和31年2月26日号掲載の「東西私鉄くらべ 阪急と東急」という記事が再録されている。その中で小林一三、こんなことを言っています。

こんなことをしてる間にも、いろんなことを考えるんだ。電鉄で言えば、新宿から箱根まで直通電車を走らせて見たまえ。そうなって初めて本当の箱根開発ができる。

……もう走ってます。
なんかこう、「得意げ」というレベルを超えて、実に居丈高に「走らせて見たまえ」「本当の箱根開発ができる」と言ってますが、この記事の6年前、昭和25年にすでに小田急の新宿発特急が、箱根登山鉄道の箱根湯本まで乗り入れています。それが好評で旅客増となり、昭和30年には全席指定の特急専用車1700形も新製しました。
関東人にはおそらく常識レベルだったそんなことも知らずに、大物ぶって(いや実際大物なんだけどね)偉そうなことを言っている。どうにも滑稽というか、哀れにすら思えます。かつて阪急グループの礎を築き上げ、「日本の電鉄事業の元老」とまで謳われた小林一三もこのとき齢八十四。一線を退きモウロクしてしまったのか。あるいは元より関西の井蛙、関東で何が起きているのか正しく把握できていなかったのか?
ただしこの記事、小林一三よりも問題なのは編集部のほう。このカンチガイをスルーして載せてしまった当時の『週刊朝日』の編集部もどうかしてますが、『昭和の鐵道と旅』編集部が輪をかけてヒドい。1ページ目の記事解説でこんな引用をしている。

国鉄は分割すべき」「新宿から箱根まで直通電車を走らせて見たまえ」(小林氏)「川崎市内に人口30万人くらいの衛星都市を計画している」(五島氏)と、後に実現されたアイデアを熱っぽく語る2人からは鉄道草創期の熱気がそのまま伝わってくるようだ。

つまり編集者は小林一三のカンチガイに気付かず、新宿〜箱根直通電車を「後に実現されたアイデア」だと書いてしまっているのです。
確認すれば避けられたミス、というか少しでも鉄道に興味があれば、「あれ? たしか昭和30年代初頭にはSE車(小田急3000形)がデビューしてたはずだけど、この頃はまだ箱根湯本まで行ってなかったのか?」と引っかかりを感じたはず(SE車のデビューは翌昭和32年)。これは少々そこつ過ぎやしませんかね。