土合駅再び

18きっぷが1回分残っていたので、有効期間最後の日曜日の今日、また土合駅に行ってみた。
http://d.hatena.ne.jp/UnKnown/20131215
以前の訪問は冬のさなかで駅舎の外に出られなかったので、雪が降る前にもう一度行こうと思っていたのだ。
とはいえ下りホームはトンネルの中の「モグラ駅」。冬も夏もあるまいと思っていたが……。

これが2013年12月15日。私以外に降りた客は一人きり。

そしてこれが今日、2014年9月7日。ボーイスカウトの団体さん(多分)をはじめ、結構な数の客が降りた。観光スポットとしてのこの駅は、今が頃がトップシーズンなのだろう。……いや、冬のさなかに来るバカはいないというだけか。
ホームのにぎわいはともかく、空気はこの季節としては冷んやりしており、気温は一年通してほとんど変わらないのだろう。階段の様子も当然ながら以前と変わらないのでカメラはしまって黙々と昇る。走らず普通に早足で、階段の上り口から改札まで8分といったところ。

地上の高さに出ての連絡通路。窓の外を見やると綺麗な川が流れていた。

さらに窓から斜め前、あの赤い屋根が土合駅駅舎。

そして駅舎内。右手に改札、正面奥に進んでいくと上りホームに出られる。

改札。無人駅にしては大規模でかつてのにぎわいがしのばれる。

改札を通って振り返る。改札の真上に三角屋根。つまり建物の真ん中に改札が配置されているのだろう。

改札に向かって右手。窓口と、シャッターが下りている部分には自動券売機が設置されていたのだろうか。

振り返り、出入り口に向かって右手。こちらのシャッターは売店スペースだろう。扉の向こうが元々の待合室。この画像で左手側にあるテーブルは利用者が少なくなってから置かれたものではないか。
駅舎の片隅には、右横書きで「上越南線直轄工事記念」と書かれたプレートがはまっていた。「鐡道省東京建設事務所 昭和六年八月」。本文は縦書き。

上越南線直轄工事記念
上越線工事施工ノ計画ヲ樹テタルハ大正八
年前後ナリキ当時欧州大戦ノ影響ニヨリ物償
労銀ノ昂騰甚シク加フルニ労働者全ク拂底ノ
状勢ニ鑑ミテ鐡道省ハ省土木工事ノ施工方法
ニ一大改革ヲ断行シタリ即チ従来ノ労力ヲ主
トスル方法ニ代ワルニ機械力重用ニ依リテ工法
ノ進化能ノ増進ヲ企図スルト共ニ省直轄施
汗ノ方針ヲ樹立シ多数ノ土木用最新式機械類
ヲ購入利用シ且ツ工事材料ノ調達運搬作業人
夫ノ募集等工事施工ノ一切ノ作業ヲ総テ省
直轄ノ下ニ置キ以テ此ノ大工事ヲ完成スル
ヲ得タリ
 
工事区間 自高崎至茂倉岳清水隧道中央
七十四粁百九十米
 
起工 大正八年十一月
竣工 昭和六年八月
建設費額 金貮千七百参拾弐萬七千壱百〓円
作業延人員 約五百四拾萬参壱千四百人
殉職者員数 六十名
〓〓事務所長 (省略)
 
鐡道省東京建設事務所 昭和六年八月

外に出る。


微妙に左右非対称。左側の壁面が白いのは、後から追加した風雪除けと思われる。

 

駅舎の前に建つ廃屋。

「菊富士食堂」と読める。ドアには貼り紙があり、「私有地につき、入らないで下さい。」というのはごもっともなのだが、「断りなく入った時、3万円の罰金を、請求致します。」と妙に具体的な金額が書かれていたり、さらに「マムシが、出ますので入らないで下さい。」という警告というより忠告のような一文が添えられていたりで、なんだか不思議な感じだった。
 

駅舎からやや離れ、道路を渡った先にあるこのカマボコ形の建築物が、さっき通ってきた連絡通路だ。
これは川を跨いでおり、途中で見下ろしたのが……。

この風景である。

バス待合所も山小屋風にデザインされた、しっかりした建物。冬季の利用を意識しての建物かと思ったが、たぶんこの区間は冬季運休だろう。

意味なく草むら越しに撮ってみる。

そうこうする間に上り列車の時間になったので駅に戻る。


これも前回来たときとは全く違った風景で、わずか30分強の滞在だったが十分に楽しめた。