だいぶ間が空いてしまったが6月初めの東北旅行の話の続き。
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とりあえず大鰐線の写真を貼っていきます。弘前の市内観光方々撮影したり、市内観光に区切りを付けて乗り込んだりでしたが、撮影順でなく駅順に並べていきます。
中央弘前駅。「「桜の名所・弘前公園に近くホーム向の土淵川からの涼風が心地よい、夏に優しい駅」として、2002年(平成14年)東北の駅百選に選定された」(ウィキペディア「中央弘前駅」)とのこと、川べりのホームは確かに絵になります。でもこれ、開業が1952年(昭和27年)ということから考えると、弘前市街の中心部に線路を引くには川べりギリギリにしか土地が残ってなかっただけという気が……。
独特のたたずまいの駅舎。これについては色々と思うところがあるのでいずれ項を改めて。
駅舎内。改築を重ねてきたのか、妙なところに柱が立ち、中途半端な位置と高さに鉄製の梁が通っています。
昼間は1時間に1本、ラッシュ時というべき朝夕でも1時間に2本といういかにもローカル然とした時刻表。左側の「(快速)改札中です」の表示は2006年(平成18年)に快速が廃止されてからは灯っていないはずですが、いまだ撤去もされず残っています。
「足の踏み場」が描かれた改札。でも実際にこの位置に立つことは今は無いようです。
割とどうでもいいことですが、乗車券の「払い戻し手数料」を自販機に明示しているのは初めて見ました。そういうケースが続出したことがあって、その際貼りだした?
こんな運転本数の少ない、おそらく利用客も少ないローカル線ですが、
生き残りたい 生き残りたい♪
というわけで、様々な話題づくり戦略を繰り出しています(ここへのネタ振りで「何しに生まれ―たのー 何しにここーにいるー♪」なんて書いていたんですが離れ過ぎてネタとして機能しない…)。
キモカワ系(?)ゆるキャラの「弘南鉄道キャラクター ラッセル君」の顔出し看板は中央弘前のホーム上に設置。
萌え系のイメージキャラクターは「鉄道むすめ」連携で、おなじみみぶなつき画の平賀ひろこ。
吊り手は沿線の特産品りんごをイメージした赤いもので、葉の部分は岩木山をモチーフにしたシルエット。さらに、一編成にひとつだけでしょうか、ハート形の吊り手が見られます。量産品とは思えませんが、これもインジェクション成型なんですかね。必要な数から考えて、シリコン型にレジン流し込むガレキ並みの生産体制でいいような気がしますが。
車両は元東急の通勤電車。今どきはどこのローカル線もこんな車両ですが、正直あまり好きになれません。
中央弘前の隣、弘高下駅。中央弘前と共通性のある意匠の駅舎が立つ。
『弘南鉄道五十年史』(1977年)掲載の写真と見比べると、建物はそのままですが、字体が変わっていることに気付きます(特に「髙」と「高」)・
弘高下ホーム上の蛇口。なんとなく古いものなので撮ってみましたが、これ、水が上に向かって出る水飲み場でなく、さりとて足元に蛇口のある掃除用の水道でもないな。手洗いくらいにしか使えないものですが、といって手洗所が近くにあるわけで無し、何に使うものだったのだろう。
しばらく列車に乗って、降りてみたのは津軽大沢駅。隣接して車両基地が設けられている駅です。
「ラッセル君」の元ネタ、ラッセル式の除雪車はここで冬まで出番待ち。ていうか昨今は冬でも除雪車が必要なほどの積雪ってあんまり無いのでは。右側の銀色の車両はかつて快速運転に用いられていたものの、快速廃止後はたまにイベントで走る程度になったという6000系電車。
いわゆるダルマ車体の休憩室か倉庫。三角屋根を架けているのがちょっと面白い。番号は「6107」で、これも6000系。
有蓋貨車のダルマ車体もあった。
石川駅までは徒歩移動。ここにも弘高下駅に似た駅舎がたっています。
水道も、タイルは違うものの全体の形は弘高下駅のものと共通。ホーム上ではなく、入り口の右端にありました(上の写真でも確認できます)。
『弘南鉄道五十年史』掲載の写真と見比べると、当時は水道が無かったことがわかり驚かされます。
石川駅のホーム上から撮影。岩木山を背景に走る大鰐線電車。手前のリンゴ畑が花咲いていたり、リンゴの実の収穫期だったりすると絵になるのかも。
「最悪の場合、死にます。」
文章も怖いが絵も怖い。なんだこの体形は。
そんなこんなで終点。大鰐駅では大きな鰐が待ち構えていました。「ワニってそのワニなのか?」とか「何故ピンク?」とか「歓迎といいつつ駅に背中向けてるよね?」とかツッコミどころが色々と。