東北旅行#10 / 松島

7月21日の旅の話の続き。

石巻から今度は仙石線に乗って南下する。本来は全線直流電化の路線だが未だ復旧途上で、北側の区間には気動車が運行中。そして不通の区間には、「BRT」ではなく「代行バス」が運行中。どうも大ざっぱに言うと、「復旧の見込みが立たない区間は新しい交通機関ってことにします、復旧できそうな区間はあくまで『代行』です」みたいな呼び分けのようだ。

さて、雑誌形態の時刻表にはこのように掲載されている(『JTB時刻表』2014年3月号)。そして「不通区間はバス代行輸送を行っていますが、列車との接続は行っていません」との注釈があるのだが、そのバスの時刻がどこにも書かれていない。
どうも少々、編集者には努力とか工夫とか知恵とかが足りないのではないか? ウェブ上には無料かつリーチしやすい形でバスまで含めた時刻表があり、「どう乗り換えればいいか」までたちまちにわかるというのに(ていうかそのほうがメインだ)、雑誌型の時刻表にはそもそも情報がそろっていないのである。これでは使いやすいか否か以前の問題だ。なんだろうこの、戦う前にウェブに負けてる感。

これはバス車内の説明図。ウェブ上の乗り換え案内で提示される情報でもイマイチわからなかったのだが、この図で一目瞭然。つまり「(あおば通)−高城町」「陸前小野−(石巻)」が復旧しているが、代行バスはそれぞれの仮の終点を結ぶのではなく、それぞれ途中の「松島海岸−矢本」で運転しているということ。これくらいの情報は載せてもいいんじゃないか、雑誌の時刻表よ?

さて、私は移動中も窓の外にカメラを向けていた。ふいと目に入ってきたT-2練習機ブルーインパルス仕様などもすかさず撮影。これは航空自衛隊松島基地から寄贈された保存機で、場所は鹿妻駅前だそうだ。

建設中の高架道が見えてきた。道路にしては妙に幅が狭いので、さてはと思って撮影。帰宅後確認したらあにはからんや仙石線の新区間だった。

さてさて。バスが松島海岸に近づくと道は渋滞となり、ノロノロ運転を強いられることとなった。道路が通行止めだったり工事中だったりするわけではない、ただ単に観光客がわんさと押し寄せているだけだ。この土地も相当な被害を受けたはずだが、さすが名だたる観光地というべきか、すっかり賑わいを取り戻している。

ていうか賑わい過ぎで邪魔。道が狭いんだから公共交通機関使えよ観光客ども。てな感じで予定時刻より約10分遅れで11時30分頃に松島海岸駅に到着。私はここには子供の頃に家族旅行で来たはずだが何も覚えていない。唯一、昼食を取りに入った食堂のメニューで、そのとき生まれて初めて「海鮮丼」の存在を知ったという記憶だけがある。それもただ知ったというだけで、うまいとかまずいとかの印象は全く覚えていない。たぶん注文しなかったのだろう。

それと甚だどうでもいいが、ハトヤの大漁苑っててっきり松島にある(orあった)ものだと思っていたが、確かめたら伊豆だか伊東だかなのね。

そういうわけでさしたる期待感もなく、「とりあえず観光地に寄ってみる」的な気分で寄ることにした土地だから、あまり時間をかけるスケジュールを組んでおらず、とりあえずのとりあえずで瑞巌寺に向かった。

こんなところに「鉄道殉職者弔魂碑」。裏面には昭和8年9月23日とあった。
「仙台鉄道局管下殉職者鉄道創始以来無慮七百五十名嗚呼悼マシキ哉同志胥謀り弔魂碑ノ建設ヲ企テ仙台鉄道局長木村芳人閣下及ビ現職者各位ノ協力ヲ得茲ニ本碑ノ建設ヲ見タリ絶景ノ幽境尚ハ〃ハ魂来リテ永ク弔意ヲ享ケラレヨ」云々
仙台から近い名勝の名刹ではあるが、「何故ここに建てた?」という気分が禁じえない。

さて瑞巌寺だが、肝心の本堂は修復工事中。その代わりに仮本堂で仏像だの何だのを拝んだ後、

何か変わった地形の所をくぐり抜けて

通常は非公開の「陽徳院御霊屋」を見学。

派手。

海岸に戻って、これは、えー……。ええと、そら、松島のいかにも松島的なアレを撮影。さらにアレに渡ろうとしたが人がいっぱいで邪魔なので引き返した。

そして仙石線でさらに南下した。松島海岸駅発12時34分。