那珂川清流鉄道保存会

今さら3月の旅のことを書いてみる。これでやっと「2014年春の青春18きっぷ」の話が終わ……ってないや。高崎市新町が残ってる。まぁアレはいいか。
http://d.hatena.ne.jp/UnKnown/20140329

さて、このとき乗ったのはまず烏山線。これがまず運転本数の少ないローカル線で、その終着駅からさらに本数が少ないバス(土日は1日3往復半!)でないと行けない、という超不便な施設を訪ねたのでした。私はバスではなく、「山あげ会館」という駅近くの観光施設からのレンタサイクル利用だったんですが、天気が良いとはいえそこから片道約40分。それも決して平坦でない道をママチャリで。これがマァどうにも酷い自転車で、整備状態が悪いというのではなく根本的に「踏み込んだ力が正しく車輪の回転に変換されてない」感じだった。あれはもう、まっ平らな道でも降りて押してったほうが絶対疲れないよ。

そんなこんなの苦労の末に、ついでに現地近くまで着いたのに入り口が分からないというオマケも付いて(八溝会館という葬祭場の奥にある)、40分かかってやっとこさたどり着いたのが「那珂川清流鉄道保存会」。
http://www.ns-tetsudo.com/

入園料は1000円。小学生以下は500円だったかな?


いきなりこれ。オタ方面では「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」でおなじみ、千葉都市モノレールの車両です。

スタッフの方にうかがったお話では、スクラップ寸前だった車体を「倉庫にでも使えれば」と引き取ったものの、内装の状態が良好だったためにぞんざいに扱うのが惜しくなった、とのこと。しかし状態良好とはいえつり革は既に外されていたため、さらに手を回して別ルートから何とか1両分を入手……ってそれ本末転倒な気が。また、「アルミ製で軽量だから吊り下げた状態で展示するのも何とかなる」と考えたものの、2両のうち1両は吊り下げるのに必要な部品が外されていたため、それを求めてあちこち交渉……ってこれまた本末転倒な気が。

かくて現役時代を思わせる姿にまで戻され、吊り下げられ、屋根に守られての展示となったのでした。倉庫になるはずだった車体なのに、まさに ♪そんな優しくしないで〜 な扱いです(このネタのために俺妹の前フリ。この先どうするんだろうねClariS?) なんでも4月には、この車内で花見会も催されたとか。


この保存会で一番の人気者、名古屋鉄道会津鉄道のキハ8500。元々は新名古屋(=名鉄名古屋)発で飛騨高山方面に向かっていた特急・北アルプス用の車両で、性能はJR東海キハ85系とほぼ同等、つまり私鉄のディーゼルカーとしては異例の高性能です。しかし言い換えれば「非電化区間を走る特急」以外に使いようがない車両ということで、北アルプスが廃止となると名鉄には居場所がなくなり会津鉄道へ。そして「AIZUエクスプレス」に使われたものの、色々と異例なもんだから整備・維持にも手間がかかると持て余されて(といっても割と長いこと走らせ続けたんですけどね会津鉄道)あえなく引退、何年か放置された後この保存会に引き取られたという経緯。

北アルプス」の列車名表示は名鉄OBだったかファンだったかから寄贈されたもの。画像右側の車両は「AIZUエクスプレス」を掲出しており夢のツーショットが実現!


再び本線上に戻ることは無いでしょうが、にも関わらずきっちり動態保存! 3月15日、16日にはエンジンをかけたとのこと(本当はそれに合わせて訪問したかったのですがインフルエンザでダウン…)。その際、車内も公開していたため、22日に訪れた私やその他の見学者も中に入れてもらえました。路線案内図や猫のばすくんグッズの広告なども会津鉄道での現役当時のまま残されています。


宇都宮貨物ターミナル駅の横を通り過ぎるたびに目に留まった、そしていつの間にかいなくなっていた貨車たちもここにきていました。引き取ったのは三重にある貨物鉄道博物館で、現状はここに委託という扱いらしいです。


塗装などがまだ荒れたままの貨車もいくつか。順に手を入れていくのでしょう。


子供が想像でタンク車を描いたら前照灯を付けてしまっていた、的な珍妙な車両は……。


除草薬散布車! 存在は知ってましたが実車を見るのは初めて。「宝積寺駅常備」とあったので烏山線で使われていた?


詳細は知らなくても一見して古典の域と分かる松葉スポーク車輪。


1894年製、鉄道省から別府鉄道を経て蒲原鉄道の無蓋貨車、ト2らしいです。



細かく取り上げていくときりがないのでちよっとまとめて。加藤製作所などの小型のディーゼル機関車を多数収蔵していることもこの保存会の特徴です。オーナーは馬頭運輸という運輸会社の社長とのこと、蒸機よりも電車よりも、トラックと同じディーゼルエンジンを積んだ機関車に思い入れがあるのでしょうか。



小型DLの中では大きめ、日立製作所のTD-2、TD-1。ロッド付動輪というだけでも珍しいのですが、B+BのD型なので妙な迫力があります。


前にサラッと取り上げた、海軍霞ヶ浦航空隊で使われていたという加藤製作所製DLとGL(ガソリン機関車・青い帯のほう)。戦後は内燃エンジンの鉄道車両はイコールディーゼルになったから、ガソリン機関車というだけで相当な古さを感じます…って海軍発注なんだから戦前戦中なのは当たり前か。

ここらへんのDLのほとんどは、実は「鉄道車両」ではなく「機械」(駅構内や会社専用線、工場内だけで使われ、本線上で営業運転しないため)。先日発売された『鉄道ピクトリアル』誌の「ディーゼル機関車」特集中の「保存機」リストにもこれらは入っていないなど趣味的にもマイナーな存在だから、ずらりと並んでいるのを見るだけでも感慨深いです。



厳密には鉄道車両ではない、といえばこんなラッセル車もありました。公式サイトでも「ラッセル車」としか表記されていません。
http://www.ns-tetsudo.com/train/1067/russell.html
メーカーや製造年まで明らかなので、形式不明なのではなく最初から「形式番号が与えられなかった」のだと思われます。


どマニアックな車両が続いたので、ここらでごく普通の、一般層にもアピールできる「ちんちん電車」を取り上げましょう。

北陸鉄道金沢市内線2302号から豊橋鉄道東田本線(33202号)をへて、鉄道総合技術研究所で実験車として使用されていた。
http://www.ns-tetsudo.com/train/1067/kanazawa2302.html

さらっと「実験車として」と書かれてますが、鉄道総研ではリチウムイオンバッテリーを積んで架線がなくても走れる電車となっていたそうで、これまた数奇な運命をたどってきた車両です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E9%99%B8%E9%89%84%E9%81%93%E3%83%A2%E3%83%8F2300%E5%BD%A2%E9%9B%BB%E8%BB%8A


内装は豊橋鉄道引退運転当時のまま。

ところで敷地内を案内してくれたご婦人、単に入場料を受け取ったりカギを開け閉めするだけの事務担当かと思っていたら(ていうか普通はそうでしょう)、これまでの車両の引き取りやレストア作業にも立ち会ってきたスタッフで非常に詳しい。車両の説明のみならず、入手や修復の際の苦労、思わぬ見学者の来館者など様々なエピソードを聞かせていただきました(冒頭に書いた千葉都市モノレールの話がそのひとつ)。
詳しいだけでなくお好きなようで……。


「これはウチに持って帰りたいくらい」とか。これは木曽森林鉄道の10トンDL。こういう車両だと現地の保存会所有というケースが多いそうで、そういう意味でも直接の関係のない場所で保存されているのは珍しいそうです。
(こちらにくる以前の保存状況は↓こちら)
http://c5557.kiteki.jp/html/kisosin-DBT113.htm


蒸気機関車では、現在の鹿児島本線などを開業した九州鉄道が、開業時かまだ間もないころから使っていた蒸気機関車明治22年製のクラウスなどという歴史的な車両もあれば……。


那珂川清流鉄道保存会として今年新製した(!)機関車もあります。


台湾から海を渡ってきた、元・台湾糖業公司の機関車も。

そしてこんな、ちょっと油断すると蒸気機関車かと思ってしまう列車もありました。しかしひょっとしたら、ある意味最もすごい展示品かもしれません。

アルナ工機製のディーゼル機関車+客車なんですが、機関車部分と客車部分が連接式(一つの台車の前後に機関車と客車が載っている)という珍しい構造。「浜寺公園交通遊園子供汽車・浪速号」が同様の車両らしいです。
こういうのは鉄道車両でなく機械扱いですらなく、カテゴリーは「遊具」(さらに厳密に言うと、一周回って元の場所に降ろす乗り物でないなら遊具ではなくやっぱり鉄道車両のはずですが面倒な話だしよくわからないのでパス)。マニアにも人気は無いし(こういうのが好きな有名人というと同じ栃木県下の「けいてつ協會」の岡本憲之くらいか……「風の高原鉄道」って今も営業しているの?)、ふつうに言って博物館的価値は無いから、こうして保存機として手入れをされているのはここだけかもしれません。川越聖地霊園が園内移動用にと購入したものの、線路敷設計画自体がポシャって駐車場に放置されていた車両を引き取った、との経緯だったはず。



とまぁ、これだけ書いても書き切れないほど充実していました。交通の便が悪くて行きづらいものの、鉄道ファンには一度は、いや一度といわず二度三度と訪ねる価値のある施設です。