那須旅行その3/EF58 144前頭部、蒸気機関車LDK57

8日の那須旅行レポートの続き。「ガンダム」「車」ときてお次は「鉄道」です。
 
(3月9日付 那須ハイランドパーク「ガンダム」特別展
(3月13日付 那須PSガレージ、那須クラシックカー博物館
 
那須クラシックカー博物館最寄りのバス停は、「蒸気機関車」という。実際に蒸気機関車が走っていた(いる)わけではなく、それはレストランの店名だ。

レストラン蒸氣汽関車

次は○○駅に停車…と料理を運ぶSL
蒸気のサウンドに乗せて、場内アナウンスがお客様のお席の駅名をお呼びします
お子様大興奮のSLが、いつもより食欲をわかせます。

実物の1/5サイズのD51機関車が料理を載せてお客様のもとへ!
到着したら客車から取り出し、いただきまーす★
http://www.nasu-jouki.co.jp/

というレストランなんですが、私は店内には入らず玄関脇に展示してあるEF58の前頭部を撮影。

まごうことなく電気機関車であるEF58に「蒸気機関車」というヘッドマークが掲げてある、といういささかシュールな状態。
状態は良好とは言い難いのですが看板だけあってそれなりに大事にされている模様。

EF58 144の経歴
S.33.3.20……日立製作所において製造
S.33.X.20……日本国有鉄道大阪鉄道管理局宮原機関区に配属。特別急行列車「つばめ・はと・彗星・あかつき」等のけん引機関車として東海道本線山陽本線で活躍。
S.52.4.1……日本国有鉄道東京北鉄道管理局宇都宮運転所に配置替え。東北本線高崎線・山手線で客車及び貨物車兼用けん引機関車として活躍。
S.59.8.24……廃車。然運転距離は3208365kmで地球(40074km)を約80回りしたことになる。

傍らの解説板にはこのように来歴が書かれていました。宇都宮ではお馴染みの顔だったんですが、正直「東海道のお古を押し付けられた」感があって私はあんまり好きではありません。EF57のほうは希少価値もあって好きなんだけどね。

隣には新幹線0系……といってもこれはカキワリ。

なので反対向きから見ると奇妙に歪んだ絵だったり。

「レストラン蒸氣汽関車」には隣接して「SLランドミュージアム」が建つ。トーマス色に塗られたこれは特に解説板等は無い。おおかた入れ替え機か何かだろう、と思いつつ「LDK57」でググってみると、『軽キャン♪銀色テントむし660』という個人ブログの詳しい解説に行きあたりました。

2014年01月18日付「銀色テントむしでSL巡り…那須「LDK57」
http://ameblo.jp/ekcamp/entry-11752516926.html
 
さて、このテーマパークに置かれているのは「LDK57」と言う大正生まれの静態蒸気機関車です。
カラーリングはオリジナリティあふれたトーマス柄で全国の静態蒸気機関車の塗装を圧倒するセンスです。

戦前の台湾統治下において国土開発のために利用された鉄道で、その後砂糖を作るために創業した台湾糖業公司の貨物列車および人員輸送に活躍し、1980年代に東急電鉄によって日本に帰国させてもらいました。

1984年の「たまプラーザ東急 鉄道博覧会」において展示され、その後「ステーキハウスペコペコ」の看板機関車として人々の目を楽しませました。

当時2店舗(越谷店LDK56、蓮田店LDK57)あった展示のうちの一つが劣化が激しいと言うことで解体業者に引き取られ、その生涯を閉じようというときに、この「那須SLランド蒸氣機関車館」にたどり着きました。

時代をさかのぼること1900年代初頭、大政奉還により明治を迎えた日本(大日本帝国)は、わずか20年強で世界の競合列国と肩を並べる軍事国家となり、台湾を統治するまでにいたっていました。
その折に台湾には、三井財閥を中心に製糖会社を建設しています。
収穫したサトウキビを工場に輸送する鉄道路線がこの際に敷設されました。
1946年になると国営の「台湾糖業公司」を発足させ、全ての製糖工場と連絡するようにりました。
あわせて旅客運転も行っていましたが、業績不振や輸送手段の発達により徐々に縮小され、1982年嘉義(かぎ)線の嘉義北港(ほっこう)間の廃止をもって旅客営業を終了ています。
そうした鉄道線の売却の際に東急電鉄が下取りして展示会にて公開し、前記した経緯でここに至った大変貴重な車輌なのです。

遠い台湾の歴史を支えた、珍しい機関車なのでした。カラーリングはともかく保存状態はまず良好といえるでしょう。


ハット卿らしき人物の顔出し看板はいいとして、その向こうでは吸血鬼が美女を襲っているんですがいったいどういうセンスなんだろう……。


LDK57の傍らには、トッキュウジャーに出てきそうなカラーリングの緩急車、いわゆる車掌車。


形式等は不明でしたが、「日本国有鉄道 高砂工場 昭和28年製造」「若松車輌 昭和43年改造」というプレートが残っていました。

二両の緩急車を一両の客車のように見せかける謎の改造。

しかしこちらはつなぎ目で向きが変わっていて、まるで事故車のよう。これらは休憩スペースか何かのようですが、バスを待つ間のわずかな時間しかなかったため外見を撮影したのみです。