名古屋の旅#5/リニア・鉄道館

トヨタ博物館から次に向かったのは、リニア・鉄道館。名古屋市の東端(の隣の長久手市)から中心市街を経由して南端・金城ふ頭への大移動である。なんでこう、どっちも不便な場所に作るかね。特にリニア鉄道館JR東海では行けないというのが謎。鉄道路線の問題だけでなくJR東海の所有地の問題でもあり、もっと適当な場所があったのでは? と思う。「鉄道博物館ってだいたい東京だよねと思ったら大宮の先だった」くらいの感覚で名古屋から離れている(そこまで遠くはないし名古屋から一本で行けるが)。

そしてぶっちゃけ、展示内容も期待外れだった。古典的車両・歴史的車両が少なく、ついこの間まで走っていた(or今も走っているor今も走っている車両と変わり映えしない)車両が中心。そこはまぁ、後発の博物館の弱さだから仕方がないが、リニアと館名に冠しながらリニアモーターカーが1種1両のみ(MLX01-1)なのはさすがにおかしいだろう。鉄道総研のML100や岡崎市のHSSTは借りられなかったのか? あるいは非公開で倉庫に保管されているというウワサのMLU001、MLU002Nはどうか。

JR東海のドル箱、東海道新幹線車両の展示はさすがに充実しているが、0系・100系300系・700系・ドクターイエローときて人気者の500系が無い! JR東海の企業博物館だからJR西日本が開発した子なんて置いてられない、ということだろうが、1両くらい引き取ればいいのにと思う。同じJRグループ500系が無いくらいだから私鉄の車両も無し。名古屋市電の保存車両には近年になって解体されたものがあるというが、それを引き取るという選択は無かったのか。

そうした有難みの乏しい車両たちの展示だが、その1/3以上は前頭部or妻面しか見えない形で置かれている。なんだこりゃ? 車内に立ち入れないにしても、側面が見えないほどにキツキツに並べたにしても、最低限前後とも見られるようにすべきだろう。敷地が足りなかったとも思えないのだが、変に館内が「狭い」のだ。何といっても企画展用のスペースが無いのが問題で、これではリピーターは確保できまい。ていうか私はもう、ここは二度と訪ねないと思う。

以前は犬山の明治村に展示してあった蒸気動車・ホジ6005(1913年)。この博物館の収蔵物で実質唯一の鉄道記念物(ほかに「国鉄バス第1号車」があって、それはそれでもちろん重要かつ貴重な存在なのだが、自動車なのに鉄道記念物というのはちょっとね)。ディーゼルカーが「気動車」と呼ばれるのは蒸気動車に由来する。

蒸気機関車と同様の走行装置を備えているのであった。

車内は機関室への扉が開いた状態で展示してあり、カマが見える。

明治村で撮影(2005年11月)。このときは前面扉が開いていた。走行装置は片側のみだが運転台は反対側にもあり、転車台を使わなくてもどちら向きにも走れた。

優美な流線形……に成りきれない平面ガラス4枚で構成されたフロントウインドウが愛おしいモハ52。1937年(昭和12年)製で、当時は流線形が世界的なブームだった。

内側から見るとこんな感じ。

リニア鉄道館の写真ではモチベが保てないので、トヨタ博物館で撮った写真と合わせて突発的に【流線形の時代】特集。これは「コード フロントドライブ モデル812」(1937年アメリカ)。その名のとおりの前輪駆動車。リトラクタブルライトを採用しているあたりに空気力学というか流線形へのこだわりが感じられる。



リンカーン ゼファ シリーズHB(1937年アメリカ)。トヨタ博物館のサイトでの車両解説が「まさしく完成された流線型」「美しくまとめられた未来的なデザイン」「前後のバランスは絶妙」と、私情入りまくりで面白い。まー確かに美しい車である。

ドラージュ タイプD8-120(1939年フランス)。「その美しさは“愛人に贈るならドラージュ”といわれるほど」って、それは誉め言葉なのか!?
 
リニア鉄道館の見学には3時間を予定していたが1時間強で一周してしまい、ああトヨタ博物館で講演を聞けばよかった、日野コンテッサが走るのを見ればよかった、でも今さら戻っても間に合わないし、さてこの後どうしよう……と考えつつ取りあえず名古屋駅まで戻った。つづく。