名古屋の旅#4/トヨタ博物館

名城大学を後にし、塩釜口駅から地下鉄を乗り継いで、ついに名古屋市の東端・藤が丘駅に至り、さらにリニモに乗り換えて市境を越えて、行ってきたのは長久手市トヨタ博物館
とにかく車がいっぱいだったので(小並感)、私なりにテーマを分けて特に目を引いたものの写真を上げていく。
 
トヨタ車】
まずは何をおいても「トヨタ車」。


かつて見たことの無い、存在自体知らなかったこれは「トヨペット カスタムスポーツ(1960年)」。ふだんは「収蔵しているが展示していない」車で、現在開催中の企画展「トヨタ博物館「裏」展」での展示。初代クラウンのシャシーにオリジナルデザインのプラスチック製ボディを載せたカスタムカーで生産台数は5台、価格はクラウンデラックスが96.5万円なのに対して135万円とのこと。東京は神楽坂の久野自動車工業株式会社が製作。「1955年初代クラウンを始め、国産車も大量生産されるようになり、カスタム化(改造)の需要があると考え、日本のカロッツェリア第1号を考えた」とは、現在は浜松交通株式会社社長を務める久野富男氏のお話。

おでこの張り出しなどは、当時の技術ではプラスチック(FRP)でないと出来なかったのでは。それにしても1960年にこれとはオーパーツ級のデザインである。

トヨタ2000GT。希少車だが博物館では割とよく見る車なのであまり有難みがなかったり。ただ、リトラクタブルライト開状態での展示は「トヨタ博物館「裏」展」開催中だけの趣向。ショボーンというか困り顔というかでちょっと可愛い。

希少かつスペシャルでスーパーなのに何故か全く魅力を感じないレクサスLFA。なんつーか「ストーリー」に欠けるんだよねこれ。

新旧のヤマハエンジン車並び。

どこまで本気か図りかねるがトヨタにはちょっとこだわりがあるらしいパーソナルビークル、これは2005年の愛知万博に出展した「iーunit」。まずその名前が恥ずかしいわ。

これも愛知万博絡み、来訪者輸送に使用された新交通システムIMTS」車両。専用道では自動運転・隊列走行が可能。

屋外展示のトヨタボンネットバスFB80型(1963年)。車内に入ることもできる。
意外に思うだろうが、実はこれがトヨタ86の原点なのだ!

そう、トヨタ車でありながら、実は富士重工製なのである。
……ってまぁ、バスの場合は別のメーカーが製造したボディが載るのが当たり前だったのだが。
  
【三輪車】
トヨタ車」に続いてのテーマは、何故か「三輪車」。何故? と思うだろうが私にもわからない。単に目を引いたものを分類したらこうなったのだ。

ド ディオン ブートン14/3HP(1898年フランス)。「自転車を改造して小型エンジンを取り付けた3輪乗用車」というから、自動車開発黎明期の試行錯誤の中で生まれたゲテモノ的試作車……かと思いきや、「ヨーロッパで最もポピュラーな自動車となり、1903年まで生産された」という。2人乗りの4輪型というバリエーションもあったりと、なかなか素敵だ。

モーガンエアロ(1922年イギリス)。ボディ前端にむき出しで付いているエンジンが勇ましい。

駆動輪は当然ながら後輪。だったらシートの後ろにエンジンを配置したほうがいいような……。

水野式自動三輪車(1937年)。これまたフロントにむき出しのエンジンが勇ましい。そしてこちらは前輪駆動なのだった。

名古屋市内にあった株式会社水野鉄工所が、1931(昭和6)年から1940(昭和15)年にかけて約3,000台生産したユニークな三輪トラック。前輪駆動で、前輪の左にエンジンとトランスミッションを、右にラジエーターと燃料タンクを配置している。


……ていうかこれ、舵にエンジンと燃料タンクがくっついていて、ひょっとしなくてもハンドルがものすごく重いのでは? 

マツダ三輪トラック(1953年)。公式サイトを参照したが形式などは不明。よく誤解されるが(というか細かい話でどうでもいいと思われているのだろうが)ダイハツミゼット(1957年)が登場した頃には三輪トラックの人気は凋落しており、最盛期はそれ以前である。50年代半ばから顧客が4輪トラックに流れだしたためで、「でも軽自動車規格だったらまだ3輪車もイケる」で登場したのがミゼットだった。

フジキャビン5A型(1955年)。FRP製フルモノコック構造のいわゆるキャビンスクーター。浮世離れした丸っこいプロポーションには強度を稼ぐためとか空力性能の追求といった意味もあろうが、前照灯が一灯なのは面白がってやったとしか思えない。
 
【非ガソリンエンジン車】
「三輪車」につづいて、何故か「非ガソリンエンジン車」。何故? と思うだろうが私にもわからない。あー、ほら、普通の名車・傑作車はあちこち色んな場所に普通に展示してあるが、「非ガソリンエンジン車」というくくりでひとつ記事にできるのは多分ここだけだから、ということで。かの日本自動車博物館にさえ、非ガソリンエンジン車はほとんど無かったはず。

企画展での展示、ビュイック木炭自動車。説明板には1937年アメリカ製と書かれていたが、肝心の木炭ガス発生装置は日本製というから、普通に考えて日本で改造された姿だろう。


こちらは常設展のトヨタBM型トラック 薪トラック改造車(1950年)。ボイラーらしきものが無骨にドンと付いているのを見て「スチームパンク的だ〜」と言い出す人もいそうだが、ちょっと待て。木炭車・薪車にスチームは無用、無関係。木炭や薪を燃やすがお湯を沸かして蒸気で動くわけではなく、不完全燃焼させて可燃性のガスを発生させ、そのガスを燃やして動く内燃機関なのである。なんでそんな回りくどいことを? と説明を読むたび思う。

そしてこちらはホントの蒸気自動車、スタンレー スチーマーモデルE2(1909年アメリカ)。

スタンレースチーマーは静かで、振動も少なく、トルクフルで扱いやすい上、高速で走ることができるなど利点も多く、1927年までつくられた。ちなみに、1906年、フロリダのオーモンドビーチで時速127.66マイル(205km)を出して世界記録をつくったことでも、その足の速さは理解できる。
 
トヨタ博物館公式サイトの車両解説より)
http://www.toyota.co.jp/Museum/collections/list/data/0017_StanleySteamerModelE2.html

「蒸気自動車」と聞いてイメージされるものより遥かにしっかりした車なのだった。しかしやはりガソリン自動車の発達とともに衰退したとのこと。

蒸気自動車と並んで電気自動車、ベイカー エレクトリック(1902年アメリカ)。

ガソリン自動車の普及がはじまっても、アメリ力では長い間、電気自動車がつくられた。
(略)
静かで、排出ガスもなく、始動時にクランクを回す必要がないという電気自動車の利点によるもので、事実、女性には人気があったという。ベイ力ー・エレクトリックは1899年から1915年まで続いた有名な電気自動車で、1馬力のモーターから時速40kmの走行が可能。
 
トヨタ博物館公式サイトの車両解説より)
http://www.toyota.co.jp/Museum/collections/list/data/0033_BakerElectric.html

20世紀の初頭にはEVがガソリン動車に伍していたのだった。

運転席の足元には電流計・電圧計が備わっている。

そしてオチはトヨタのFCV(2011年)。今年中だったか今年度中だったかに市販バージョンが姿を見せるはずだが、どんな形になるのやら。
 
【並びの妙】
最後のテーマは「並びの妙」。これってテーマなのか。ここからは説明不要の有名車ばかりなので説明無し。

イタリアの大衆車とドイツの大衆車。

フランスの大衆車とイギリスの大衆車。

日本自動車史のカンブリア紀に出現したバージェス頁岩動物たち、フライングフェザーとフジキャビン。奥には続いて哺乳類の原点(?)スバル360と、恐竜(一度は隆盛を誇ったが絶滅)ダイハツミゼットが並ぶ。


このシート! このハンドル! このインパネ! フライングフェザーの合理的(過ぎる)割り切りには本当に惚れ惚れする。

ついでに、ドアを閉じるとこんな感じ。2009年9月に日本自動車博物館で撮影。

リアコンビネーションランプかと思ったら、よく見りゃ空っぽのエアアウトレットとか、この車は本当に凄い。

貧乏くさい車の並びが続いたので(好きなんだからしょうがない)ちょっと目の保養。初代シルビアとコスモスポーツ

そしてコスモスポーツ117クーペ
 
他にもたくさん写真を撮っているがきりが無いのでこのへんで。