ガンダムUCが嫌いな理由・覚書

以下、文章が気持ち悪いけど覚書だから気にするな。あと、『UC』に対しては種程度の興味しかないので「その見方は変だ」とか「同じようなことを評論家の○○が言ってる」と言われても困る(建設的な意見交換はできませんよという意味であって、指摘してくれる分にはありがたいのでそこはよしなに)。

ガンダムUC』って、宇宙世紀が舞台でニュータイプが物語の中核だからオールドファンにも好意的に受け取られてるけど、「こんなのガンダムじゃねえよ」加減は『Gガンダム』以上だよなとつくづく思う。

まず、「フロンタルがシャアのパチもんである」という作品内の設定と、作品自体の成り立ちとが入れ子構造で、「みんなが宇宙世紀ガンダムを見せろ、ニュータイプの物語を見せろというからそういうモノを世に送り出してやったぜ」な作品であること自体どうなんだと。ていうか、そういう作品の出自を登場人物に仮託して作品内で語らせるのはどうなんだ? ってところで引っ掛かる。だがまぁ、それはこのさい置いておきます。

何がダメって、そもそも貴種流離譚ではニュータイプの物語は成立しないんですよ。人の革新の物語なんだから、血統を理由にするなんてもってのほかなの。平凡な少年がアンシャンレジームに疑問を抱き、敵対し、事の次第によっては打破に至る物語でないと成立しないわけです、本来はね。実際、最初の『ガンダム』ではアムロはそういう骨組で主人公を演じ、一方でシャアが古典的な貴種流離譚、復讐譚の部分を補っていた。だからUCは初めっから成り立っていないの。

ただ、メタな構造でいうと、「ニュータイプの物語」はとっくの昔に打破されたアンシャンレジームでもあるわけです。

ニュータイプなんてえのは『クロスボーンガンダム』で「進化でなくて環境適応変化に過ぎない」と言われ、『ガンダムX』で「15年の幻」と片付けられ、『∀ガンダム』はとうとう全肯定と言いつつ地面に埋め戻しちゃった。それが現代になって、「ニュータイプと称されてはいるものの既にオールドな規範(タイプ)の価値を取り戻そうとしている」のが『ガンダムUC』という作品である、と。まぁ、そういうことです。それを再生・復活と位置付けて「人類第○のルネサンス」と呼ぶのであれば、文字づら的には正しくニュータイプの物語ではあるけれど、そんなのは言葉遊びですな。

そういう作品外の状況が作品の内にも反映されていて、ニュータイプに次代を託そうという「ラプラスの箱」は封印されているし、それを取り戻そうとするし、バナージとミネバは2人してそれぞれ貴種流離譚を展開している。プル12もその反転な。

でもね、「既にオールドなニュータイプの物語を取り戻す」なんてのはド・ダイ無理な話。先日、ヒラコー先生が面白いツイートをしていました。

平野耕太@hiranokohta
4:14 - 2014年5月19日
アムロ「バナージ君は周りの大人が寄ってたかって父親役をやってくれていいなあ」
カミーユ「僕の場合は全員胸糞の悪い兄貴って感じでした」
ウッソ「僕の場合は大量のお姉さんが」
ガロード「親戚のニートのおっさんが「俺みたいになるな」と言って来る感じでした」
https://twitter.com/hiranokohta/status/468107255028527104

ガンダム』『Zガンダム』は「上の世代なんて信用するな」というメッセージを発信していた。けれど、結局は新たな価値(ニュータイプ)を創出できないまま大人になったアムロカミーユが、「俺らみたいになるな」と下の世代に反省を伝えたのが『ガンダムX』。そして「やっぱり上の世代の存在て価値あるよね」と反転して、父親役が寄ってたかって育ててくれるのが『ガンダムUC』……そういうガンダム史を見切っているツイートです(別ハンであってパクリではないです念のため)

んで、既にオールドなニュータイプの物語を取り戻すはずが、いきおい余って『ガンダム』以前の価値観に揺り戻ってしまった。そういう保守反動というか復古調がね、どうにも気に食わんのです。嫌いなワケです。

(8/4追加)
ひとつ思い出したが新規エントリにするほどのことでないのでここに追記しておく。私は『逆襲のシャア』もどうしようもなく不出来な作品だと評価していて、だから『UC』との齟齬もどうでもいいのだが、「『逆シャア』ファンで『UC』も好き」という人については「ちゃんと『逆シャア』見てる?」と言わざるを得ないのだった。『逆シャア』って、名も無き兵士一人ひとりに至るまで全てのネオジオンがシャアを裏切って終わる話で、良くも悪くも(私は悪いとしか思わないが)そこが作品の肝でしょ。あれの後にはもうネオジオンはもう存在し得ない、設定でなく物語として。

逆シャア』のラストを「サイコフレームは一時的に個人の意志を奪い同調を強要する洗脳装置だった」と解釈するか(実際、後の「Vガンダム」にはエンジェル・ハイロゥが登場する)、もしくはいっそ「『逆シャア』なんてなかった」とまでいうなら分かるけど、『逆シャア』も『UC』もそのまんま肯定的に捉えるってのはちょっと理解できないです。