THE ORIGINで改めて気づく、『ガンダム』は立身出世譚×貴種流離譚

アニメ版『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』、先日のアニマックスでの放映で視聴。アニメ自体の感想はさておき、改めて思ったのが「安彦先生、貴種流離譚を強く意識してるなあ」だった。 貴種流離譚ってのは文字どおり、高貴な血筋の人が不幸な境遇に置かれてさまよう話ね。設定上は最初から、いわゆる『ファーストガンダム』の段階でダイクン兄妹の貴種流離譚が物語の背骨に仕込んであったけど、『ORIGIN』はその過去をはっきり描いて、時系列上の物語の出発点にしている。マンガ版では「ああこで独自のストーリーを挟むんだ」程度にしか意識しなかったけど、アニメ版ではまさに物語の出発点で、だから気付かされた。

んで、ただそれだけなら単なる二次創作レベルのサイドストーリーでしかないけれど、マンガ版『ORIGIN』は違った。出発点に対応する到達点を用意した。ア・バオア・クーの最終決戦、物語のクライマックスでセイラさんはアルテイシア・ダイクンの名前と立場を取り戻すのだ。言うまでもないがこれは『ファースト』には無い『ORIGIN』独自の展開。これにより「ダイクンの遺児がザビ家を討つ」という構図がより明確になり、貴種流離譚として物語が閉じている。

一方、主役であるアムロの物語はどう見たものか。基本的には「帰る家を失って、母にも父にも突き放された少年が、帰れる場所を見つけるまでの物語」ではある。高貴な血筋に生まれ、大義名分を背負わされたダイクン兄妹。対してアムロは、ごく普通の少年で、ごく個人的な問題で物語が閉じる。……巧い具合に対照的ではある。

ただそれだと、肝心かなめの「ニュータイプ」が浮いてしまうのだ。というか、ニュータイプ抜きでもアムロの物語は成り立ってしまう。ニュータイプとは何か? 設定は抜きにして、物語上の関係性だけで考える。……アムロエルメスララァを倒し、ジオングに乗ったシャアをも倒し、最強のニュータイプになった。……アムロが成ったニュータイプとはつまり「エース・オブ・エイセス」とか、もっと大きく言えば「救国の英雄」の言い換えではないか? こう見れば、アムロの物語は「ごく普通の少年が、巻き込まれるまま戦いを繰り返すうちに英雄となった」という立身出世譚だと理解できる。

エースとか英雄では表現が軽いし、第一「連邦軍内では厄介者扱いのおとり部隊」という設定との整合も欠く。だから、もっと漠然と「新たな時代の旗手」ニュータイプと位置付けられた。しかし、漠然としているからこそ軍や国家の枠組みを超えた「人類」の英雄というべき存在となったのだ……。つまり『ガンダム』は、立身出世譚と貴種流離譚が複合した物語なのである。

アニメ版『ORIGIN』はおそらく『ファースト』で描かれている話はやらず、二次創作レベルのサイドストーリーで終わってしまうだろうが、マンガ版は最後まで神経が行き届いている。その点、ぜひ実際に読んで確かめて欲しい……とかナントカ宣伝みたいに締めてみる。