松本の旅#7・松本は蔵と看板建築の街

1月4日の松本旅行の話。これでおしまい。
路上観察趣味的には、松本は「蔵と看板建築の街」だった。

中町通り
白壁となまこ壁の土蔵が立ち並ぶ、時代を遡ったかのような古き松本の風景が広がる蔵の町通り。江戸末期や明治に、この一帯が大火に見舞われ、主要な施設や町屋が多数失われました。再三にわたる火災から守るため、商人たちの知恵で〔なまこ壁の土蔵〕が造られ今に引き継がれています。蔵シック館は中町の拠点。個性的な店がいっぱい。
(「信州松本街歩きマップ」より引用)

その蔵シック館。

松本市中町蔵の会館
この建物は市内宮村町(松本市中央3-3-21)にあった松本の町家を代表する旧大禮酒造の三棟の家屋を蔵の町の象徴とすべく「中町・蔵シック館」として再生したものである。
建築年代 明治21年 建築方式 土蔵造り
(現地の解説板より)

内部はギャラリーや会議室として貸し出されている。また、閉館時に訪れた人のためだろう、画像左、側面の壁にある窓の内には、実際の素材の展示と併せて土蔵造を解説するスペースがあった。
館内は驚くほど広く……。

横に回りこんで撮影(この画像の右手奥が上の画像の正面である、念のため)。この画像の左手にある別棟まで会議室として利用されている。そのため給湯室などもあり、建築当時の状態で保存されているというわけではないが、有効な活用法だといえよう。


私が訪れた日は、土間で何やら洋服の展示をしていたが、それ以外には利用者はみられなかった。

建物自体が十分に見応えがあるもので、タダで見てしまって申し訳無い気分。
さて、マップの紹介には「個性的な店がいっぱい」と書かれているが、例えばこれは……。

こんな見かけでカレー屋だったりする。

また、中町以外でも道すがらでひょいとなまこ壁の建物に出くわしたりして、松本という街は往時からにぎやかだったのだなと感じられた。


中町では蔵以外に看板建築も見られた。

そしてこれまた、中町以外でも見られた。これは確か縄手通りから一本横に入った道に建っていた。


「塩井乃湯」。相当立派な銭湯だが、寺社風の構えではないのが興味深い。あれは確か東京を中心とする様式だから、この地まで流行が及ばなかったということだろうか? でもそれを言ったら看板建築はどうなんだって話だし、東京の銭湯だって皆ああいう形だったわけでもないしな。まぁ忘れなかったら後で調べよう。