松本電鉄社員寮を取り上げた記事ふたつ

私には一年以上の課題となっている「松本電鉄社員寮」の件。
http://d.hatena.ne.jp/UnKnown/20150120
http://d.hatena.ne.jp/UnKnown/20151031
ひと月ほど前の話になるが、ふたつの関連記事にたどり着いた。

近代化遺産を歩く
55.旧松電西松本変電所 松本市(大正13年ころ建設)
  
アルピコ交通松本電気鉄道)の前身となる筑摩鉄道は大正11(1922)年、松本市松本駅から西、島々駅までの島々線(後に上高地線)を全線開通させた。筑摩電気鉄道と社名を改め、13年にはさらに松本駅から東の浅間温泉に通じる浅間線でも営業を始めた。変電所はそのころ、二つの路線により効率的に 送電するために、起点となる松本駅に近い西松本駅の南に開設された。

建物は、上高地線の最初の停車駅、西松本駅の南の一段下がった場所にある。建築面積は80平方メートルほど。古びているがどっしりとした2階建てで、明るいベージュ色のモルタル風の外壁と、エンジ色の金属製の屋根が目を引く。外壁の所々にはれんがも使われている。
(略)
アルピコ交通の久保沢秀明鉄道事業部長は、西松本変電所の詳しいことは分からないとしながらも「昭和32(1958)年に新設した新村変電所に機能を移 転させるまで稼働した」という。建物はその後、内部をバスガイドの寮やバス運転手の宿泊所に改修し、30年以上使った。現在は倉庫だが、南の入り口には今も、「松本電鉄男子宿泊所」の表札がかかっている。

上高地線の80年│15キロの鉄路に秘められた80年のドラマ』の6人の執筆者の1人で、上高地線の歴史にも詳しい地域交通史研究家の石川欣一さん (79)によると、筑摩鉄道創業当時、変電所は新村駅近くにあったが、浅間線の開業に伴い西松本変電所を新設、2路線を1カ所で管轄した。「変電所の勤務は2人ずつの2交代制。職員は6人程度はいたと考えられる」という。毎日、運転開始の前後に、機器の電源を切り替える主要業務のほか に、図面やダイヤ表など、社内の文書を感光紙に焼き付ける複写係も担当した。
(略) 
http://www.shimintimes.co.jp/yomi/isan/isan55.html
http://www.shimintimes.co.jp/yomi/(元は「市民タイムス」連載だった模様)

「外壁の所々にはれんがも使われている」と書いてあるけど、実際は「所々モルタルが剥がれて煉瓦が露出している」だよ……などなどツッコミどころが多々あるが、変電所だった当時の業務の実態など書かれていて興味深い。とはいえ、アルピコ交通の人まで「詳しいことは分からない」と言い、郷土史家も建築としての特徴には触れていないから、私の疑問は解消されないのであった。
 
市民タイムスではもうひとつ、「旧松電社員寮取り壊し」との記事もあった。

レトロな外観が市民に人気
2014.07.09 (水)
旧松電社員寮取り壊し

松本電鉄上高地線西松本駅に隣接し、古めかしい外観で親しまれた松本市中条の旧松電社員寮が8日までに、取り壊された。大正13(1924)年ころの建築とされ、90年の歴史を刻みながら市民や県内外の鉄道ファンらを魅了してきたが老朽化が著しく、所有するアルピコ交通が維持を断念した。近年市内では官民問わず近代遺産の保存活用を模索する機運が高まり、建築士ら専門家も注目していた建物だけに、惜しむ声が聞かれる。
http://www.map-color.co.jp/times_news/archives/14267.html

建築士ら専門家も注目していた建物」というのが本当なら、誰かしら調査して記録を残していそうなものだが……。



ところで、何故に今ごろ記事が2つも見つかったのか……何故に今まで見つけられなかったのかというと、「旧松電」という略称に思い至らなかったから。「松本電鉄 社員寮」で検索してもこれらの記事は引っかからなかったのである。私には全くの盲点だったが、地元の人には「松電」という呼び名は、そしてアルピコ交通となって以後は「旧松電」と呼ぶことはアタリマエなのだろう。そのあたりを捉えられる言語センスを身に着けたい。