古地図に見る八高線、東武大谷線、そして秩父鉄道

正月休みの間、『懐かしい沿線写真で訪ねる 京浜東北線(東京~大宮間)・宇都宮線高崎線』なる本に目を通した。

京浜東北線(東京~大宮間)・宇都宮線・高崎線―街と駅の1世紀 懐かしい沿線写真で訪ねる

京浜東北線(東京~大宮間)・宇都宮線・高崎線―街と駅の1世紀 懐かしい沿線写真で訪ねる

感想は一言「本文頑張ってるが編集粗々」。マァ後でまた取り上げるかもしれないが、そんな本体よりもはるかに面白いのが表紙に使われている古地図だ。
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目次ページには全面を掲載。

「昭和戦前期の沿線案内」というアバウトなキャプションしかないが、容易に時期を絞り込むことができる。

なんと武州鉄道が描いてあるのだ(画像中央)。しかも武州大門の先が未開業だから、1928(昭和3)年12月〜1936(昭和11)年12月の8年間に絞り込むことができる。

武州鉄道以上に面白いのが八高線。小川町〜寄居間が鎖線になっている。これが未開業の意味ならば、この地図は1934(昭和9)年3月〜10月というピンポイントな時期のものと判断できる。

ところが宇都宮周辺を見ると、宇都宮から上方、徳次郎(とくじら)への路線が描かれている。これは宇都宮石材軌道(→東武鉄道大谷軌道線)なのだが、1932(昭和7)年に廃止になった。この地図が1934年のものならあってはならない路線だ。

ただ、「廃止になったことを確認せずに残してしまった」という可能性ももちろん大きい。また、この辺りをよく見ると大谷観音のさらに先(左)にもうひとつ徳次郎があるようで(文字がつぶれて判別困難)、いずれにしてもかなりいい加減だといえよう。

廃止になっていたはずの路線が描かれているのはまだマシ、困るのが秩父鉄道だ。終点・三峰口の先、強石までの路線が描かれている。この路線、廃止以前にまず開業していない、それどころか着工すらされていないのである。一体なぜこれが描かれてしまったのだろう?

ウィキペディア「秩父鉄道秩父本線」を参照すると…。

・1927年(昭和2年)12月5日
 鉄道免許状下付(秩父郡白川村-同郡大滝村間、大滝村大字大滝地内(鋼索))

・1930年(昭和5年)12月26日
 鉄道免許失効(1927年12月5日鉄道免許、秩父郡大滝村大字大滝地内 指定ノ期限マテニ工事施工認可申請ヲ為ササルタメ)

・1936年(昭和11年)2月19日
 鉄道免許失効(1927年12月5日鉄道免許、秩父郡白川村-同郡大滝村間 指定ノ期限マテニ工事施工ノ認可申請ヲセサルタメ)

とある。この地図の三峰口〜強石間はまず間違いなく「秩父郡白川村〜大滝村間」の一部だろう。

ただ、ここで引っ掛かるのが大字大滝地内の「鋼索」……ケーブルカーの免許だ。これは普通に考えて三峯神社へと向かうものだろう。ならばルートは、後に開業した三峰ロープウェイ(1939(昭和14)年〜2007(平成19)年)とほぼ同一とみる。
ウィキペディア「三峰ロープウェイ」
大滝地内に免許を取得したケーブルカーだが、実際には大輪からのルートを検討していたのではないか。いずれにせよ鉄道路線は、ロープウェイの始発駅に接続する形で計画されていたと考えるのが自然だ。つまり、三峰口から大輪ないし大滝までの計画だったと捉えられる。となると、強石まででは少々短か過ぎる。
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計画路線をうっかり地図に描いてしまった、それはありそうな話である。実際そういうことだろう。だが何故終点を大輪ないし大滝にしなかったのか? 何故に強石なのか? 答にたどり着けそうもない謎を、この地紋代わりの地図は与えてくれた。

探せば他にも色々と謎があると思う。これだけ取っても『懐かしい沿線写真で訪ねる 京浜東北線(東京~大宮間)・宇都宮線高崎線』は十分に買う価値があると言えるだろう。