武州鉄道が描かれた地図

先々週の日曜日、約束も行くあても無いので桶川のさいたま文学館へ行ってきた。企画展のテーマは「校歌」って、埼玉県下の学校に通ったことのない私にはどうにもピンとくるものがない。面白かったのは、壁に貼られた埼玉県の鳥瞰図でした。おなじみ?吉田初三郎のパノラマ図で、大胆にディフォルメされており地図としての正確性は欠くのですが、そのディフォルメがかえって情報になっています。東北本線がまっすぐ日光まで延びていたりと、「どこを重視したか」が伝わってくる。
その地図で一際私の目を引いたのは、しかし純粋に地図的な情報。蓮田と岩槻を結ぶ鉄道が描かれていて、さらに岩槻の先まで延びている。
おっと、これは武州鉄道だ。

武州鉄道(ぶしゅうてつどう)は、1924年大正13年)から1938年(昭和13年)にかけて埼玉県を拠点に、同県南埼玉郡綾瀬村蓮田(現・蓮田市)の蓮田駅JR東北本線宇都宮線))から同郡岩槻町(さいたま市岩槻区)を経て同県北足立郡神根村石神(現・川口市)の神根駅までの間で運行されていた鉄道。
 
(フリー百科事典ウィキペディア武州鉄道」)

開業は1924年ですが、そのときは蓮田〜岩槻間。岩槻の先まで延伸されたのが1928年だから(武州大門まで開業、さらに神根まで延伸されたのは1936年)、この地図が描かれたのは1928〜1938年(昭和3〜13年)の10年の間だと特定できます。マァ吉田初三郎といったら大体そんな時期だし、描かれているものから判断するまでもなく地図の素性ははっきりしてると思いますけどね。


以前、浦和美園まで自転車で出かけた際に撮っていた石碑。場所は駅の西側にある重殿社という神社の境内。実は撮影時には武州鉄道のことは知らなかった(苦笑)。

今となってはどこに停車場があって、どの通りが停車場道路なのかもわかりません。無論、調べればわかることですが、現地で見る限りはただ石碑だけが残っているという状態で、否応無く無常を感じてしまいます。

是時昭和参年十二月武
州鉄道開通ト共ニ停車
場道路附設ノ議起リ区
民後援ノ下ニ野田青年
団中野田支部員等昭和
四年三月十七日起工同
年四月十五日其ノ完成
ヲ視ル同線ノ枕木ハ朽
チル事アルモ我等ノ努
力ハ今尚石文ニ

「枕木は朽ちる事あるも、我らの努力は今なお石文(いしぶみ=碑)に」……。まさにその通り、まるで今この状態を予見したかのようです。

http://misono.arc-network.net/sr/bushu0.html
上記URLがウェブ上では最も詳しい廃線跡紀行のようです。