閾値闘値しきい値

とある漫画家が自分の作品を振り返り、
「もう少し暴力的でもよかったかなと思う。「暴力的」というか、「ここまでやったら死んじゃうだろう」の閾値がもう少し高くてもよかったかな、と」 とつぶやいた。
「先生の作品には、殺しても死なないようなキャラがいるから闘値はあいまいかと」 というレスがついた。
会話が成立しているのが怖い。*1



念のため大きくしておこう。正しくは値、なのに値と書いていた、ということだ。
ありそうな誤字だが、ちょっと考えるといろいろと興味深い問題がみえてくる。
たとえばレスをつけた人は、実は「しきい値」という言葉なら知っていた、としたらどうだろう?
「閾」は当用漢字に含まれないため、一般の新聞等では「しきい値」と表記される。
だから、しきい値」は知っていたけど「閾値」には馴染みがなく、「闘値」などと取り違えてしまったのだと。
一方、ひょっとしたらここで「え? 「しきいち」? 「いきち」じゃなくて?」と思う人もいるかもしれない。
ウィキペディアしきい値」のページにはこうある。

閾値の本来の読み方は「いきち」で、「しきいち」は慣用読み。「閾」の字は日本人になじみが薄く、第二次大戦後、当用漢字外とされたため、字義である「敷居(しきい)」の語を当てたものと思われる。「閾」の訓読みは「しきみ」。

……なんだろう、この、「余計なことしやがって!」感。
使用頻度は確かに低い。当用漢字から外すのはマァ仕方あるまい。
しかしそれにしても、門構えに域という単純な組み合わせだからわかりやすく覚えやすいのに、なんでわざわざ平仮名にするかなぁと思ってしまう。
そのうえ「しきい」だ。「域」だから読みは「いき」というのもわかりやすいのに、なぜわざわざ変える?
さらに加えて「しきみ」でなく「しきい」ときたもんだ。そこまで変えるなら「閾値」を「敷居値」と言いかえればいいではないか。
漢字を平仮名に、音読みを訓読みに、「しきみ」を「しきい」に。
実に三段階もの変更によって、「閾値」の原型をとどめない「しきい値」という新語になってしまった。そのために、「閾値」の文字づらを見てもそれが「しきい値」の意味だと理解できない人もいるのではないだろうか。
他方、「闘値」というのも興味深い。*2
団塊の世代」→「団魂の世代」と同じパターンで、知っている漢字の中から形の似たものを選び出して当てはめたのだろうが、打ち込む前にこう、「この言葉ってどういう意味なんだろう?」と気になったりしないのだろうか。パソコンにしてもスマホにしても、文字列を選択して即座に検索できるだろうに。
閾値」を見たとき、それを「闘値」へと躊躇無く「変換」できてしまえる思考のあり方に興味を覚える。

*1:実際にみたツイートに基づきますが、話をわかりやすくするためディテールをいじっているのであくまでフィクションということでご容赦。

*2:なお「闘値」でググると「閾値」のあれこれが検索結果として提示される。さすがGoogleと思ってしまったが、こういう時にこそ「次の検索結果を表示しています: 閾値」の表示が必要ではなかろうか。