夢の中で行った、ような…

まどか☆マギカ」とは全く無関係に、自分の夢の話。

昔ちょっと書いたけど、ほうぼうを旅行して、でも観光地よりも何てことのない町中で過ごす時間が長い私には、どこで見たともつかない景色が断片的に記憶として残っている。

それがまぁ、特段美しい景色とか特徴的な建物とかならいいんだけど、ホントに何でもない景色がふいとフラッシュバックしてくるから始末が悪い。

特に模型店玩具店とかゲーセンとかはやっかいだ(旅先でそういうとこに入るなよ、というツッコミは甘受するとして)。

ダイタリオンを買った大阪新世界のバッタ屋とか、エヴァ初号機を買った福井駅前のプラモ屋とか、B'tRを買った鎌倉の玩具店とか、古いTFの売れ残りを物色してたらバイヤーかと思われた松阪の玩具店とか、何かしら買い物をしているとそれがよすがとなって場所も特定できるのだが、入って出ただけの店だとそうもいかない。

なのに、商店街の片隅にある店のたたずまいとか、ぎちぎちと商品が積まれたほこりっぽい店内とか、体感ゲームの筐体が店の真ん中に、でも動かないまま置いてある様とかが、断片的に思い出されてしまうのだ。とりたててどうという景色でもないのだから、忘れてしまって何も問題もないのに、脳裏に蘇る。だけどそれがいつどこのことかがわからないから、何とも落ち着かない。

単に断片としてフラッシュバックするだけならまだいいほうで、夢の中で断片と断片とが合成されて新たな記憶となり、現実に見た景色なのか夢の中だけなのかの区別が付かなくなるケースもある。

困るのは鉄道廃線跡だ。これも下調べなどせずに、行ったその場にあったらたどり始めたりするから、景色の印象が場所の記憶から切り離されていることが多い。そのうえ、断片と断片が結びついて一本の路線になってしまうことがある。南宇都宮駅にあった練炭工場の側線が伸びた先に車庫があったり、南宇都宮〜江曽島間の築堤上に廃線があったり。さんざん歩いて土手の手前でアスファルトで埋められた踏切を見たのは、記憶では会津若松のことだ。どれも、そこであるはずがないのに、鮮明な記憶となってしまっている。

だからある時期から、時と場所を思い出す手がかりにとよく写真を撮るようになったのだが、ところが今度はフィルムの整理がつかないのだった。と、そんなこんなでデジカメは「記憶の外部領域」として有用であるなぁとつくづく思う昨今。デジタルであることは有用性の本質ではないけれど、ちょっとサイバー(死語)な気分だ。