トークイベント「コミックロリポップとその時代」#5

計5回にもなってしまった、トークイベント「-浦嶋嶺至プロデュース-『なつかしの美少女エロ漫画を語る会』第2夜〜コミックロリポップとその時代を語る〜」レポート、今回で幕です。
ロリポップの時からキャンディタイムへ】
さて、当日の会場にはPCにつながったプロジェクターがあって、「コミックロリポップ」の表紙や掲載作品のひとコマ、各種データなどが壇上後ろのスクリーンに投影されていた。休憩時間にはスライドショーでいくつかの画像が順繰りに映されていたのだが、そこでひとつ、意味不明の表紙があった。
「A5判継続決定!」
と、大きく書かれている。絵が「魔狩人」だったから、何か新雑誌に移って連載を仕切り直すのか? と思ったがそれでも話が通らない。
しかし、後でトークの中に「コミックハウス」という単語が出てきたときに「ああそうか」と気がついた。
あれはおそらく、『ペンギンクラブ』『キャンディタイム』のコミックハウス系を筆頭とするB5判中とじエロマンガが急成長してきたため、その時流に迎合して判形をB5判に変えるか? と検討していたのだろう。
しかしその上で、変えないことを選んだ。
誰に向かってか「A5判継続決定!」とアピールさえした。
時流は間違いなく、B5判中とじに向かっていた。それが読めなかったはずがない。
にもかかわらず、変えないことを選んだのだ。
もしも判形を変えていたら、『ロリポップ』というタイトルは存続したにしても全く別物になっていたはず。ひょっとすると、A5判継続を決めた時点でもう、緩やかな死を待つ覚悟を決めていたのではないだろうか。
トークでは、コミックハウスに関してはひと言ふた言触れた程度で、判形は話題にも上らなかった。
ただ、「コミックハウスは高めの原稿料で作家を取り込み、次から次で仕事を回して、他社の仕事を入れる隙を与えなかった」という話が、私には興味深かった。
原稿料を高めに設定するのは、実績の無いところが新規参入する際に最も手っとり早い手段だからいいだろう。注目したのはもうひとつの「他社の仕事を入れる隙を与えなかった」という点。なるほど、たくさんの雑誌を動かしていたことには、作家を囲い込む意味もあったのかと感心する。
無論、作家の囲い込みを主な目的として、複数の版元で複数の雑誌を動かせるはずもなく、それだけB5判中とじエロマンガが成長していたということなのだろう。
ところで、80年代後半から全国に急増していった新たな販路、コンビニエンスストアに置かれやすいという点でも、B5判への変更は重要な検討項目だったのではないだろうか。この時代、エロ漫画は裏返してレジに出すものでなく、コーラやおにぎりに紛れこませて買うものになっていたのだ。
また、ジャンプ600万部にも「コンビニという販路が確立された」ことは無縁でないと思うのだが、そこに着目した研究ってどこかにないかな?
といったところでオシマイ。
もうワンテーマ、「読者投稿」を考えていたが、これについては当時の『ロリポップ』誌の状況がわからないので書かないことにした。ていうかホラ、あの時代の雑誌はどれもこれもそんな調子だったんじゃないか?
アニメ誌とその傍流に『OUT』『ファンロード』があり、模型誌の『ホビージャパン』は投稿常連を執筆者に迎えた別冊『VOMMERS!』を刊行するに至る(Voice Of Modelersというコーナーの投稿常連の本なのでVOMMERS)。プラモメーカーであるバンダイの、商品PR誌であるはずの『模型情報』まで、投稿読者をプロに育てる「ブレインバンク」という企画を始める(このあたりは記憶が曖昧…)。アーケードゲーム誌『ゲーメスト』も読者投稿で盛り上がり、やや遅れて90年代半ばだが『ゲーメストワールド』が発刊されるに至る。私は単行本でしか読んだことがないが、南原企画の『月光』の読者投稿もひとつの文化を築きあげたという。
巨視的には、『ロリポップ』はその一つだった、という位置づけに収まるのではないだろうか。まぁオタク系の投稿と並行して、『セブンティーン』系の「体験記」投稿でも盛り上がっていたというのが独特というか、美少女漫画誌ならではの特色といえそうだけど。
なお、三峯徹氏が投稿デビューした(というのも変だが)のは『ロリポップ』休刊以後だそうで、それがいいとか悪いとかでなく「遅れてきた人」だと確認できた。