/ガンダム車とガンダムデザイナーの意識

前回のつづき。「ニューモデルマガジンX」の問題の記事のスキャン画像をupされたサイトがありましたのでURLをご紹介。

「Deep Distance 焦点の定まらない雑記スペース」2009.12.20付「ガンダム風のクルマ」
http://shiro13.txt-nifty.com/seaview/2009/12/post-9b04.html
この「ガンダム」という表現が最初に雑誌で使われたのは、1986年春に発行されたニューモデルマガジンX(No.3 P28)と思われる。

と書かれていますが、私の知る範囲ではこれより前、初代マーチターボについて他の雑誌で「ガンダム」という表現が使われていたはずです。ただ、掲載誌が思い出せない…。「モーターファン」か「CG」だと思うのですが。
さて、「ニューモデルマガジンX」のこの記事に関連して、ひとつ面白い記事が私の手元にありますのでそれも合わせてご紹介します。

『模型情報』1986年9月号p22(バンダイ
MJ 話は変わりますが、自動車雑誌Zガンダムのデザインについて書いてましたね。
藤田 そう、自動車雑誌Zガンダムが少し話題になっているんですよ。ニッサンのRZ−1と比較されているんですよね。コンセプトが似ているって言う事で。あの時期(Zガンダムのデザインワークをしていた頃)はデザインのインダストリアル的な商品価値を考えててそれをまあ、おかしな形にせよ評価されたという事ですね。
北崎 そこまで考えるんですね。
藤田 考えました。

いまの感覚でこの記事を読むと、まるで藤田一己自動車雑誌に寄稿したかのようですが、当時のアニメメカデザイナーの地位・認知度からしてそんなことなどあり得ず、「ニューモデルマガジンX」での扱いを取り上げてのことでしょう(それとも他にもあったのかねぇ? RZ−1自体がまずそんなに話題になるほどの車でなかったような…)。
ただなぁ、「機動戦士Zガンダム」の放映開始が1985年3月、Zガンダムのデザイン公表は確か5月頃、そして日産RZ-1の発売は1986年2月なんですよね。

90年代前半、日本の自動車会社は、外観デザイン決定から量産開始まで 平均で約30ヶ月(欧米では約40ヶ月)かかっていた。
http://www.sc-abeam.com/mailmagazine/aki/0009.html

つまりRZ-1のデザイン決定のほうが、Zガンダムよりずっと先のはず。まぁ「藤田が、これからくるインダストリアルデザインを意識してデザインしたら、そのとおりのモノが出てきた」くらいの話と取りましょうか。
ともかくも、ガンダムをデザインした側に、インダストリアルデザインに対するアプローチの意識があった、との発言は結構重要なトピックでしょう。RZ-1はさておき、ランエボから現行GT-Rに至る「ガンダム」車のデザインの流れは、どこからどこまでが藤田の予想に沿う形だったのか、あるいはそれらにZガンダムはどう影響を与えたと藤田は見ているのか。できればご本人に検証・分析してほしいところです。