『山月記』の巧妙な入れ替わりトリック

李陵・山月記 (新潮文庫)

李陵・山月記 (新潮文庫)

なるほど。
袁参氏から、古い友人との奇妙な再会の話を聞き終えて、私は軽くうなづいた。袁参氏は椅子の上で背を丸め、「人が虎に化けるとは、この世は恐るべきことが起こるものだ…」と、誰聞かせるともなくつぶやいた。当夜の記憶が、また呼び戻されたのだろう。
私はその言葉に答える。
「いいえ、起きていません」
え? と顔を上げてこちらを見る袁参氏に、私は続けて言う。
「実は李徴さんは、本人が言うようには虎に変身していません。おそらく、ですがね」
「何を一体? 何を言うのですか? 私の話が信じられないと? そりゃ信じ難い話でしょうが、私は、いや私に限らず連れの者たちも皆あの夜確かに李徴と」
袁参氏の表情と声色には怒気が含まれていた。困惑6割:怒り4割といったところか。私はつとめて静かな声で話を続けた。
「虎が虎として姿を見せたのは、2回でしたね。まずは最初の遭遇です」

残月の光をたよりに林中の草地を通って行った時、果して一匹の猛虎が叢の中から躍り出た。虎は、あわや袁に躍りかかるかと見えたが、忽ち身を飜して、元の叢に隠れた。叢の中から人間の声で「あぶないところだった」と繰返し呟くのが聞えた。その声に袁は聞き憶えがあった。

「よく思い出してください、『あぶないところだった』と虎が言った、その場面をあなたは見ていないのです。虎が藪に舞い戻った後、その藪の中に潜む李徴さんが聞こえよがしに言っているのですよ」
袁参氏は未だ釈然としない表情だが、ともあれ怒りは鎮まり、私の話に興味を持ったようだ。
「よろしいですか? 2度目に姿を見せるのは、最後に別れた後です」

一行が丘の上についた時、彼等は、言われた通りに振返って、先程の林間の草地を眺めた。忽ち、一匹の虎が草の茂みから道の上に躍り出たのを彼等は見た。虎は、既に白く光を失った月を仰いで、二声三声咆哮したかと思うと、又、元の叢に躍り入って、再びその姿を見なかった。

「このときも虎は言葉を発していなかったでしょう?」
「……ええ。ですが、それが一体どういう意味だと?」
袁参氏が唸るように言う。まごうことなく善人である袁参氏を、どうも追い詰めているようでいい気分ではなかったが、私はさらに話を続けた。
「つまり、李徴さんが仕掛けたトリックはこうです。何らかの方法で事前にあなたの到来を知った李徴さんは藪に潜んで待ち伏せ、タイミングをみて飼い慣らした虎を放ち、被害が出ないうちに戻らせた。
そして引っ込めたところで、李徴さんご本人が「危ないところだった」と大声でつぶやき、あなたの注意を引いたのです。
不自然だと思いませんか? 人に聞かせるつもりのないつぶやきなのに、藪の外にいるあなた方にまではっきりと聞こえるなんて。しかも何度も言っている。李徴さんは、初めから来訪者が旧友のあなただと知っていて、『私は李徴だ』と知らせたかったんですよ。
今一度冷静に考えてみてください。何のどういう事情であれ、人間が虎に変身するなどありえないじゃないですか。ですが、突然の虎の襲撃というインパクトがあまりにも大きかったために、あなた方はその途方も無い話を信じてしまった。李徴さんの演技も迫真のものだったのでしょうね。真情の吐露を交えてだったがために、虎になったという話までも真実味を帯びていたのでしょう。
そして言いたいことを全て言い終えたところで、だめ押しとばかりにもう一度虎を放つ」

又、今別れてから、前方百歩の所にある、あの丘に上ったら、此方を振りかえって見て貰いたい。自分は今の姿をもう一度お目に掛けよう。勇に誇ろうとしてではない。我が醜悪な姿を示して、以て、再び此処を過ぎて自分に会おうとの気持を君に起させない為であると。

「それが理由なら、あなた方が遠く離れるまで待たずに姿を見せつけてもよかったはずです。なのに、十分な距離を置いた後で虎は藪から現れた。それは多分、虎に向かって話しかけられでもしたら、真相がばれてしまうと用心したのでしょう」
「ま、待ってください。確かに、私は虎がしゃべっているのを直接見たわけじゃない。ですが李徴がそんなことをするとは……。ええ、そうです、あなたの推理のとおりだとして、李徴には動機が無い」
「動機は本人しか知らないことです。ただ、これも推理は可能です。袁参さん、あなたが抱いた感想がヒントになりました」
「私の?」

しかし、袁参は感嘆しながらも漠然と次のように感じていた。成程、作者の素質が第一流に属するものであることは疑いない。しかし、このままでは、第一流の作品となるのには、何処か(非常に微妙な点に於て)欠けるところがあるのではないか、と。

「――。このことは李徴さんも自覚していたんです。いや、その不足が技量や経験ではなく、根本的な才能の問題であることさえわかっていた。だから、詩の出来とは別の部分で、足りない分を補おうとした。『そうだ、作品に不足があるなら、その背景に厚みをもたせればいい』、そう考えたのでしょう。そこで自己の境遇を劇的なものとするストーリーを用意し、旧知のあなたがこの土地に至る時期を待った。全てはその芝居だったんです」
「いや、仮にそうだとして、なぜそれが作品を残すことになるのです?」
投げかけられた質問に、今度は私のほうが困惑の表情をする番だった。
「何をおっしゃっているのです? 現に、あなたは書き取らせているじゃないですか。
そして確かに李徴さんの作品は後世に語り継がれた。千年の時を経てもなお、その詩は人々に知られている。無論、知られているのは虎に身を変じた哀れな詩人の物語、『山月記』という小説のほうであり、詩そのものは物語のついででしかありませんが、いずれにせよ後世に残すことができたんです」

   偶因狂疾成殊類 災患相仍不可逃
   今日爪牙誰敢敵 当時声跡共相高
   我為異物蓬茅下 君巳乗〓気勢豪
   此夕渓山対明月 不成長嘯但成〓

袁参氏は、今はあきれた顔をして私を見ていた。
「……あなたの話は毎度メタフィクションに流れますなぁ」
「好きなんだからしょーがない。ていうか、言葉による伝播をテーマにして小説を書くことの二重性には、多分中島敦も気付いてましたよ。とくに『狐憑』は……って、そんなことはどうでもよろしい」
「こんな会話を入れるから、メタフィクションと悪のりの楽屋ネタが同列だと思われるんですよ」
と、袁参氏はさらに私に追い討ちをかける。
「どうでもよいと言っている。話を元に戻しましょう」
「……李徴、可哀想な男だ」
袁参氏の目頭に、熱く輝くものが見て取れた。
私にはもうひとつ、袁参氏に対しては話さなかった推理……いや、推測があった。かの詩人は、ヒトであることの煩わしさを捨てたかったのではないか。詩で名を成すことができず、世を捨てたものの、さりとて自ら果てるほどの思い切りはない。その中途半端な身がせめて虎であったなら――と願った。だが、願ったところで虎に変身できるわけもない。結果、あのような自己演出の大芝居を、そしてその芝居に乗せて詩を託すことを考え付いたのだろう。
「詩人になれず、虎にさえもなれなかった、哀れな男よ」
だが思うのだ。たとえその身は虎となること能わずとも、物語のなかで虎と化し、そしてその物語をそのまま受け止める読者が多数いるのだから……。そうだ、李徴は確かに虎になったのだ、と。
(「山月記」本文引用部分は「青空文庫」より転載。
http://www.aozora.gr.jp/
http://www.aozora.gr.jp/cards/000119/card624.html )



とかいうネタを考えていた。まー、これだけだと単なる作品解釈であって、小説の体にはならんので、あくまでワンアイデアなのだが、そうこうしている間に柳広司に先を越されたようで。

虎と月 (ミステリーYA!)

虎と月 (ミステリーYA!)

虎の正体の解釈が被ってるとは思わないが、「贋作『坊っちゃん』殺人事件」(asin:4022576707)や「漱石先生の事件簿―猫の巻」(asin:4652086059)などで、文学作品の解釈を核にした小説の面白さを提供してくれた柳広司の作品だけに、いずれ一度読んでみないとなぁ。