今なお「汽車」が走る土地

先日プレイした某PCゲームは、ヒロインが方言(鳥取弁)で話すことが最大のセールスポイントという珍妙な作品だった。私は鳥取弁に詳しいわけでなく、また「方言萌え」というわけでもないので色々とコメントに困るのだが、なかにひとつ「おっ」と思わせる言葉があった。主人公やヒロインの台詞に「汽車」が登場するのだ。

現実にも、今なお「汽車」が走る地方がある。無論、実際に汽車=蒸気機関車=SLが走っているわけではなく、鉄道路線を指して「汽車」と呼んでいるのである。

路面電車の存在した土地の場合、それを「電車」と呼ぶのに対して、国鉄(現JR)は「汽車」と呼ばれたのだという。あるいは東京などでは、通勤列車は早々に電化されて「省電」などと通称されたのに対して、蒸気機関車に牽引される長距離列車は「汽車」と呼ばれたとも聞く。しかし、これらの由来の「汽車」は今は死語だろう。

そしてもうひとつ、電化の遅れた、あるいは未だに電化されていない路線の沿線というケースがある。蒸気機関車こそ引退したものの、それに置き換わったのはディーゼル機関車気動車だった……。「電車」は来なかったために「汽車」が生き続けている、という経緯だ。鳥取はこの例である。

方言と呼ぶことにはためらいを感じる「汽車」ではあるが、私にとってはイントネーションの違いや耳慣れない言葉以上に、強く地方性を感じさせるものだった。ただしこの場面、設定上は「都会から払い下げられた車両」で(他の台詞から推測するにこれは隣県島根の一畑電車のイメージ)、ビジュアルもロングシートに両開き戸……。どう見ても「汽車」ではなく「電車」で、この雰囲気の不統一はかなり残念である。

あ、そういえばイルカの「なごり雪」の歌い出しは……。歌の舞台は東京なのだが、当時はこの「汽車」は違和感無く受け入れられたのだろうか?