目次が先か?本文が先か?

積読の山を一冊切り崩す。

クルマが先か?ヒコーキが先か?〈Mk.3〉

クルマが先か?ヒコーキが先か?〈Mk.3〉

まぁいつもの調子。車と飛行機とが密接だったころの歴史を語れる、というだけでも貴重な存在ですが、そういう面倒なテーマを軽い文体で、味のあるイラスト込みで伝えてくれるのだから大したものです。
しかしこの本には本文以上に面白いものがあります。それは、異様なまでに多い誤記! 著者が字や単語を誤って書いたという「誤字」ではありません。内容的な誤りではなく、なのに文章それ自体が誤っているという信じがたい「誤記」が、編集者がラリっていたとしか思えないレベルで頻出しているのです。
ふつうに読んでいても、まず大半の読者がp72で気付くでしょう。第61話、タイトルが「サンムービーはもうないけれど」。あれあれ、本文中に出てくるメーカー名は「サンビーム」ですよ? しかし、ページ左肩のほうに小さく書かれたタイトルを見ても「サンムービーはもうないけれど」になっていますから、「ふーん、じゃあオチで何かそういう映画の話を持ってくるのかな?」などと思いつつ……最後まで読み進めても、その回は映画の話など無いまま終わってしまいました。
さて、ここで目次を開いてみましょう。案の定、というか恐るべきことに目次はちゃんと「サンビームは、もうないけれど」になっています。
酷いミスだな……雑誌ならまだしも書籍でこれは無いだろ……と思っていると、p94に書かれたタイトルは「アヴロのクルマかヒコーキか!?」なのに、p95のページ肩には「アヴロのヒコーキか!?」。またかよ? と思いつつ、さらにページを繰ると、p102の大タイトル「クルマと同じくらいシンプルだった」に対して、p103のページ肩は「クルマと同じくらいシンプルだったころ」……って、勝手に伸ばすなコラ!!
ここでいい加減その異様さに気付き、目次との突き合わせでチェックしたところ、まぁあるわあるわ、以下のような始末。
P51-55「ロイ・デッフェン物語」(正しくは「ロイ・フェッデン物語」)
P58-63「空と雲とプロペラ」(目次では「空と雲とプロペラと」)
P72-79「サンムービーはもうないけれど」(正しくは「サンビームは、もうないけれど」)
P95-101「アヴロのヒコーキか!?」(正しくは「アヴロのクルマかヒコーキか!?」)
P103-107「クルマと同じくらいシンプルだったころ」(目次とp102では「クルマと同じくらいシンプルだった」)
P197-203「米国十話」(目次では「米英十話」)
単に量だけでもムチャクチャな多さなのですが、輪をかけて酷いのが「本文に付いたタイトルよりも目次のほうが正しいケースが散見されること」! 「サンムービー」は既に触れたとおりですし、「米国十話」も内容からすれば明らかに「米英十話」が正しい。
逆ならわかるんですよ、本文で確認せずに記憶だけで目次を作っちゃうとか、本文のタイトルを後から修正したのに目次は修正し忘れるとかなら、ざらにありますから(ホントはあってはいけないけど)。しかし目次のほうが正しいなんて、原因からして理解不能
いやもう、マジで編集者がラリってたとしか思えない。購入者に対しては、正誤表よりむしろ「かかるミスはいかにして起きたのか」を詳細に知らせる始末書を配布して欲しいところ。