誰が「戦時中はゼロ戦とは言わなかった」と言ったのか・その7

【その1】 http://d.hatena.ne.jp/UnKnown/20150519
【その2】 http://d.hatena.ne.jp/UnKnown/20150520
【その3】 http://d.hatena.ne.jp/UnKnown/20150523
【その4】 http://d.hatena.ne.jp/UnKnown/20150525
【その5】 http://d.hatena.ne.jp/UnKnown/20150531
【その6】 http://d.hatena.ne.jp/UnKnown/20150607
【関 連】 http://d.hatena.ne.jp/UnKnown/20150524

とうとうその7。といってもいいかげん大した話にはなりません。
大空のサムライ坂井三郎は、戦時中からゼロ戦と呼んでいた、と言っていたらしい。

【教えて!goo】「戦中、一般国民はゼロ戦を知らなかった?」
 
回答No.10
(略)「ゼロ戦」との呼称は1944年の新聞記事でも確認されており、また坂井三郎など当時の証人も戦時中から使用していた事を証言しており(略)

【アンサイクロペディア】「零式艦上戦闘機」
 
(略)しかし、実際には、戦時から母艦乗員や陸上部隊でも、ゼロ戦という呼び名は普通に使われており、坂井三郎によるとどちらの呼び名も正解、とのことである。(略)

この話、出典は何だろうと著書を当たってみたんですが……。

零戦の真実

零戦の真実

その頃アメリカはこの俊敏な戦闘機を「ゼロ」あるいは「ゼロファイター」と呼んで徹底して敬遠した。そんなことからか零戦を「ゼロセン」と呼ぶのが一般には慣用のようになっている。しかし、これは正確ではない。正しくは零(れい)式艦上戦闘機、「レイセン」である。

(『零戦の真実』1992年・坂井三郎 p38-39)

え!?「どちらも正解」でなくて「正しくは『レイセン』」!!? どっち!?
まぁ正式には「れいせん」なのはそのとおりだし、「ゼロファイター」に由来するという点については「そんなことからか」とぼかしているから、微妙ではあるのですが。

また、【教えて!goo】「戦中、一般国民はゼロ戦を知らなかった?」は一般人の証言も興味深い。いわく「ゼロ戦ていうのは復員してから初めて聞いたんだよ」「極秘扱いで一般の人はみんなしらなかったんだよ」。

回答にも「亡父は零戦の事を「A6M」と呼んでいました」「当時の人達は「ゼロ戦」とは言わず「零式(れいしき)戦闘機」と呼んでたそうです/(私の父親は軍需工場の技師)」などといった証言がみられます。

一方でツイッターでは「70年代には「ゼロ戦は戦後の言葉」説はプラモマニアやミリタリーマニアの間では常識扱い」「1990年ころは熱心なマニアには「やっぱりゼロ戦でいい」が広まりつつあったはず」( https://twitter.com/NCA02706/status/608625949970550785 https://twitter.com/NCA02706/status/608626299905515520 )なんて証言が出てきている。

こうなるとオーラルヒストリーというかフォークロアの領域で、いやもうマジで私の手には負えません。