『リセット脱オタ』と我が思考の階梯

(承前)そもそもは仕事でちょっと関わりをもった『リセット禁煙』という禁煙指導法が始まり。これはつまるところタバコ及びタバコメーカーの洗脳に抗する脱洗脳なものだから(有名なアレン・カーの『禁煙セラピー』も同様)、「メソッドの部分は他に応用が効くのではないか」と『リセット脱オタ』なんてのを考えていた。
オタクであることのデメリットを指摘するのではなく、オタクであることによって得られるメリット……だと本人は思い込んでいるものが、実は誤解なのだと気づかせて、オタクであることのバカバカしさを知らしめるやり方。それも「説得」ではなく系統だった「質問」によって、当人による「気づき」を誘うという、まぁそんな感じの脱洗脳だ。

「オタだからこその楽しみって何でしょう?」「非オタに比べてアニメ(orゲームor漫画)を楽しめていますか?」「それは具体的には例えば?」「その〇〇って作品が一般には知られてないのは何故なのか、あなたの考えを聞かせてください」「その評価の差って何でしょう?」etc., etc.

まぁタバコの場合、ニコチンによる身体的依存と心理的依存が両輪となっていて、明確な健康被害があって、さらにはメーカーという「わかりやすい悪者」まで背後にいるため、脱洗脳も形式化できるのだが……。趣味の領域には身体的依存が無いばかりか、そもそもメリット・デメリットを語ること自体が説得性を持たないので同じメソッドではやっぱり無理がありそうだ。ただ、脱オタはともかく、例えば『読むだけでパチンコがやめれる、やめさせられる!』なんて本は潜在的な需要がありそうだし(射幸心はかなりの強敵だが)、他の依存症治療法のメソッドまで放り込めばモノになるかもしれない。

さて、それはともかく、かくて私は洗脳・脱洗脳にわずかながらも興味をもつようになったのだ。他方それとは別に戦前の唱歌絡みの話題から、ゆるやかな洗脳装置あるいはプロパガンダとしての「歌」に興味を持ち、さらにそれとは別に「ふしぎ星のふたご姫」2年目の大幅な設定変更に対するイヤミとして書いた「王権という古い権威を剥奪する、独自の秩序をもつ場としての学校」という話が頭の片隅に残って……歌が賛美歌に、学校がミッションスクールに変換されて「ミッションスクールはキリスト教布教のための洗脳装置としてどう働いたか。また、その内部の独特の秩序はどう形成されたか」という興味に行き着いた。

で、そこの興味を掘り下げればいいものを、さらにもう一歩「そういや百合モノの舞台がミッションスクールなのは、『マリみて』以降なのかな?」てなところに興味が移ってしまい、なんとなく百合(エス)ブームの歴史をつつき始めたのである(笑)。(つづく)

リセット禁煙のすすめ―タバコの迷路から脱出し、自由の鐘を鳴らそう!

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読むだけで絶対やめられる禁煙セラピー [セラピーシリーズ] (ムックセレクト)

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悪魔のマーケティング タバコ産業が語った真実

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タバコ産業の「悪魔のマーケティング」を糾弾するために書かれたものだが、プロパガンダはいかにすべきかのマニュアルとして読むこともできる(笑)。