鷲宮の石碑と神社

先週土曜日、8日の鷲宮散策の続き(前回→)。

鷲宮から帰る際、来たときと同じ東武線というのも面白くないと思い、JRの東鷲宮駅を目指す。以前の来訪で大体の距離感はあったので(→ もっともルートはまったく違うのだが)遠さはさほど気にならず。
 
そしてふと目に止まった小さな石碑。36.094605, 139.671946

猿田彦太神 とある。大神でなく太神なのが面白い。
以前(2015年9月5日)、古河の町を散策した際にも……。



猿田彦大神(こちらは太でなく大)が目に付いたが、このあたりには多いのだろうか。
 
さらにだかだかと歩いて、これは埼玉県久喜市西大輪の「 胡禄社 」。



こんな形だがコンクリート打ちっ放し。昭和55年改築とのこと、安藤忠雄住吉の長屋 (昭和51年)の影響だろうか。

胡禄社のすぐ近くにある金比羅社もほぼ同形で(「ほぼ」でなく「全く」かも)、それぞれどういう経緯か気になる。
http://kamimeguri.web.fc2.com/wasimiyakorokusya.html

さらにさらにだかだかだかだかと歩いて、通りすがりのセブンイレブン
36.092614, 139.675380


遠目に何やら石碑が見えたので近寄ってみる。

百番供養塔 だった。百番供養塔は去年の夏(2016年7月24日)……。

吉見周辺を散策した時に撮影していた。北関東では数多いようだが(レファレンス協同データベース 埼熊-2011-024)、コンビニの駐車場の一角を専用スペースに割くほど大事に扱われているのは珍しいのではないだろうか。

春日部から鷲宮へ

春日部にサトーココノカドーができたというので…。

人気アニメ「クレヨンしんちゃん」に登場するスーパー「サトーココノカドー」。そのおなじみの店看板が、物語の舞台である埼玉県春日部市に登場した。イトーヨーカドー春日部店が、屋上看板の一部をサトーココノカドーのデザインに張り替えた。

市などが昨秋から続けてきた「クレヨンしんちゃん25周年記念企画『オラのマチ・春日部にくれば〜』」の一環。出版元の双葉社(東京)によると、ココノカドーは、東武鉄道春日部駅西口にあるヨーカドーのパロディー。企画に賛同した同店が「思い切って変更しました」(中島正店長)という。9日〜16日限定で、ココノカドー春日部店として営業する。
 
http://www.asahi.com/articles/ASK446K74K44UTNB01R.html

先週末ちょっと出かけてきた。ていうか営業は9日…ココノカからなのね。8日土曜日に行ってしまった。

先日「レゴバットマン・ザ・ムービー」(傑作!)を観たばっかりなので、こうして見上げるとバットシグナルのようにも見える。

周りの道は細く、古くからの大型スーパーといった雰囲気。
春日部のシネコンに併設された、クレヨンしんちゃんのシネマスタジオも訪ねてみた。



日本語以外の言葉を話すアジア系の家族連れがいたのが印象的。こんな地方都市っていうか都市未満の街でも、外国人観光客を呼び込めるんだなぁ。展示は…まぁ、映画を観にきたついでに寄るなら、といったところ。おみやげ品のアクキーはちょっとしゃれたデザインでした。
 
サトーココノカドーとは線路を挟んで反対、東口側にも伸ばした。



ふいと大谷石(たぶん)の蔵が立っていた。詳細は不明。
さらにその近くには……。


コンクリート製のごみ箱。上蓋も前扉もおそらく現役当時のままでちょっと驚く。西口側にはなんと現役のものがあって(蓋と扉はさすがに作り替えたとみられる)一体なぜにこんな残っているのか。


春日部の続き。これは何のお店だったんだろう、エンブレムの文字は「誠大」と読める。

春日部の西口側、サトーココノカドーのちょい北にあった カミヤ商店。塩ならわかるが、「砂糖」を看板に掲げているのが目を引く……「砂糖、ここの角」なんちて。
 
ひととおり春日部を散策した後は、東武東上線鷲宮へ移動。

鷲宮駅ホーム上からの風景は、桜と菜の花の取り合わせが美しかった。
さて、なぜ鷲宮かというと、この日がちょうど「らき☆すた」放送開始10周年の記念日? だったから。しかし鷲宮神社周辺でどうのこうのは全く無く、大鳥居の前の大酉茶屋も閉まったままで少々寂しい。

とはいえ駅近くの蕎麦屋は今もコラボメニューを提供しているようだし、甘酒などのご当地らき☆すたグッズもまだまだ現役だった。


鷲宮神社、いわゆる萌え絵馬は相変わらずだし、桜が見どころとあってか人出も多かった。
 
去り際の大鳥居、どこからともなく みー みー と猫の鳴き声。一体どこに? とひとしきり探して……そこかーっ!

鷲宮神社の大鳥居の猫。人懐っこいというか無警戒というか、近づいても撫でても「我関せず」といったふう。



どうも、大酉茶屋に居ついていた猫のようです。
 


以前訪ねたときにも気になっていた瀟洒な洋風建築、「並木理髪店」。

『まんがタイムきららキャラット』5月号

今月もまた少々遅れて『きららキャラット』感想。「ひだまりスケッチ」が休載、ただし誌面構成をみるに予定された休載とも思えます。このところ集中的に続いてきた「ゲスト掲載無しで連載開始」ですが、今月も「ネコじまにゃんだフル」が連載開始。ただ、さすがに新連載攻勢もこれで終わりでしょう。ゲストは4本、うち1本は『まんがタイムきらら』連載のぽんこつヒーローアイリーン」の出張掲載。また、3カ月の連続掲載で好評だったのか「プリフリ番長!」が『きららベース』に移籍しての連載が決定しました。
 
「Aチャンネル」
表紙&巻頭カラー。前日に単行本第8巻と画集が発売されたことに加え、
Aチャンネル (8) (まんがタイムKRコミックス)

Aチャンネル (8) (まんがタイムKRコミックス)

BDボックスの発売が決定したので、そのアピールも兼ねてのことでしょう。
本編はナギが皆をお泊りでのアニメ一気見に誘う、というお話。それはいいんだけど……。

真っ先に(ひとコマ目で)誘うのがユー子で……。


原作「白田cc」のアニメ、というあたりにナギの闇を感じた。

白田ccというのは主人公がユー子そっくりなエロマンガを描いてる人ね(原作では名前は出てこないけど)。
 
閑話休題。ナギがオタク気質を全開にして周りを巻き込む話で、それはそれで可愛いけれども「わりと常識人?ちゃんとつっこむ」という登場人物紹介にはかなりの違和感があったw オタクノリについていけずにナギを愛でてるユー子&るんと、ノリはがっつりわかっていてサポートにまわるトオルの温度差も可笑しい。
……ていうかトオル含めてナギ以外誰もアニメ面白がってないぞこれ!?
 
キルミーベイベー
ウナギイヌです、ワンワン」という話(違う)。やすなが「うなぎが食べたい」と言い出して、食品サンプルだの模型だのを買っちゃうあたりは毎度のノリなんですが、あぎりさんが「ウナギに近い生物の遺伝子を操作した代用になる生物」を持ってきたあたりから一気に「カガクチョップ」の世界に。 ウナギとウサギを掛けたネタなんて小学生でも思い付くようなダジャレなんですが、それをここまで掘り下げた(?)のがスゴイ。人懐っこいし、見た目もそれなりに可愛いけど、だからこそ一際キモかった。
 
ブレンド・S」
アニメについては今号も新情報無し。2月号の第一報以後3号も何も出てこないとなると夏クールの線は無しですな。NG!第2期もあるし。次号が表紙なので、巻頭のカラー記事でスタッフの名前か、もしかしたらキャラ表くらいまで出してくるかも。

本編。「いいですよねぇ 男の娘×男の娘♡」(それはどうか)……というわけで、ひでりがストーカーに追いかけられる話。事実上の初登場回で虫に怖じない描写があったりで、ひでりが「漢気あふれる男の娘」なのは初期からの設定のようですが、それがきっちりお話に反映されたのは初めてかな。まー、私も苺香さんと同じくらいに生主とやらの事情は知らないので、ネタ的には今ひとつピンとこなかったんですが。
 
NEW GAME!
センターカラー&2本立て。この号では記事になっていませんが、4月2日付で第2期は7月開始と公表されました。それはいいとして問題は、キービジュアルに紅葉&ツバメが描かれていること。
http://newgame-anime.com/
原作でも未だ落としどころに至ってない二人をアニメに出してどうするの? と少々不安を覚えます。

さて本編、「NEW GAME!」の2本立ては別の話を並行してやるのがこれまでの基本でしたが、今回は2話にまたがって、ねねっちとツバメのぎくしゃくした関係に決着がつくという趣向。お話の段取りはオーソドックスですが(ねねっちがツバメの家庭の事情を知る→ツバメが仕事で大失敗→ねねっちのフォローで問題解決、和解)だからこその気持ち良さがありました。これにて一件落着……と言いたいところで最後に別の爆弾が破裂。読み返すと、一本目のラス間際にコウは「頑張っていれば離れていても寂しくない…か…」とか言ってるんですねぇ。こちらの話の行方も気になるところです。
 
「おちこぼれフルーツタルト」
インド ミャンマー タイ スリランカ
イギリス ニッポン ネパール シンガポー!
色んなカレーがファイア! ファイヤー!!
カレーライスとカレー丼は違うんだよ? ファイア ファイヤー!!
……というわけで今回のステージがひとつの到達点のはずなんですが、正直イマイチ盛り上がらず。「目指せカレーNo.1」という外し方自体は良いんだけど、フルーツタルトのメンバー側の意識が描かれてないのがね。そのあたり、次回にまたがるのだろうか。
 
「異なる次元の管理人さん」
バハムート様の左腕が治療できない!? という不穏な導入からの意外な真相。黒い人たちがそれ自身「次元の歪み」だという種明かしも含めて、物語がまた一歩進んだ感じ……とか思っていたら、今度はフェイエルさんが何やら不穏な空気で息つく暇もない。2巻の壁を突破したことと合わせて、この先どう展開していくのか気かがりになってきました。
 
「まちカドまぞく」
センターカラー。扉絵で前回登場の新キャラ、白澤さんとリコの色も明らかに。バクそのまんまの白澤さんはいいとして、銀の毛並みに金の瞳というリコがなかなか魔物然としていてカッコいいですな(キツネ色をイメージしていた)。

リコの料理がシャミ子に影響を……というのは予想どおりでしたが、思った以上に「敵か、味方か!?」感をあおる導入でした。リコは天然の悪意の持ち主というか、天然の性格が人を困らせるほうに働くというかなのね。結界を剥がして桃が「あすら」を訪ねる……というのも予想していた展開ですが、こちらも思った以上の大事に。今まで名前だけ出ていたミカンのサンライズアロー(たぶん)で、ごせんぞinよりしろを飛ばすという作戦は、ここまでの伏線というか設定の合わせ技で気持ち良かった。ミカンがまるでゴルゴ13エヴァンゲリオンヤシマ作戦)で、まともな活躍はこれが初めて?

今回は結局、桃と白澤さんが対面しただけで千代田桜(およびその他の魔法少女?)の情報は無かったわけですが、それはそれとしてラストで重大な進展が! シャミ子の目標が「桃を笑顔にすること」だというのは、読者には明かされてましたが、まさかこんな形で本人にまで知られるとは。なんていうかアレですね、恋愛ドラマの定番展開だ。「酔ったいきおいで愛の告白、翌日になると言われたほうが激しく意識して、言ったほうは忘れてる」パターンw これも次回以降の展開が楽しみです。
 
「トモダチヅクリ」
麻乃と静の初デート……って当人はシャレのように言ってるけど、実に仲睦まじく。マジでこのまま「友達のつもりが恋人になってました」エンドでいいんじゃないかと思えてきた。編集も最後に「友達は増えたけど、初めての友達ってやっぱり特別なのかも」なんて書いてるし。

『まんがタイムきららキャラット』4月号

何だかんだバタついて、来週にはもう次の号が出るという時期に感想。休載は無し、ゲストはなんとたったの4本。後ろ半分ゲストだった時期を思うと随分と連載作品が増えたなと改めて思います(つーかそれもこの数カ月のことですが)。

表紙&巻頭カラーは「NEW GAME!」。誌面での公表はこれが初となる「TVアニメ第2期制作決定」。開始時期等は不明ですがスタッフはそのままでしょうから不安はありませんし、物語は単行本3〜4巻の分となれば面白くならないはずがない! 今から期待大です。
 
NEW GAME!
久々にねねっちメイン回。なるっち…ってまだ馴染めないな、ツバメは相変わらずツンケンして厳しいものの、ねねっちののーてんきさポジティブさのために明るいムード。阿波根さんもねねっちの成長を認めて「合格」、よかったね〜と思わせて最後はデバッガーに復帰…というオチも綺麗でした。
アニメ版の描写ですが(↓)ねねっちはデバッガーとして極めて優秀だから、阿波根さんには大詰めを任せたいとの思いがあったのかもしれません。
https://togetter.com/li/1016169
 
キルミーベイベー
1コマめでやすなが弓矢を持ってきて4コマ目でソーニャがリンゴを投げつける一本目で始まって、撃ち合い勝負に発展したかと思ったら最後は弓でド突き合いという、実にキルミーらしい回だった。
 
「まちカドまぞく」
3巻はこのあたりから後半突入かな。ミカン以来のレギュラー級の新キャラ投入、しかもまぞく2人とあってターニングポイントを感じさせます。対魔法少女の結界に守られた喫茶店「あすら」、見た目はバクのマスター・白澤さんにキツネの耳と尻尾を生やしたウエイトレス・狐狸精のリコとパンチの強い外見の2人ですが、ボケまくりのために話は先に進まなかったw ともあれ新たなまぞくの登場、シャミ子にアルバイトの収入、久々の登場で都合良く情報を出してくる杏里ちゃんと今後につながる要素もボチボチ。白澤さんがたまさくらちゃんの中の人というのもほぼ確定だ。加えて、謎の中毒性のあるリコの料理によってシャミ子の魔力がまた1段階レベルアップなんて展開もあるかも。桃&ミカンが「あすら」にどう接触するかも気になるところ。一時的に結界を剥がしてご対面、なんてあっさりした展開も考えましたが、結界の張りなおしは難しいのかな?
 
ブレンド・S」
2本立て、うち1本目はセンターカラー。「NEW GAME!」第2期と合わせて、TVアニメ化待機作品の二枚看板となるんでしょうな。1本目は第1話より前、夏帆と紅葉が仕事を始めたばかりの話。あくまでサブの位置付けですが、このカップルというかコンビはいいねえ。そして麻冬さん拉致スカウトの回想は絵面がヤバかったw

2本目は花粉症の話。1本目で出番の少ない苺香さんと美雨さんメインなのはバランスを取ったのか。リアルな話、接客業で顔を隠すマスクができない職種の人は何かと対策が大変でしょうな。
 
「異なる次元の管理人さん」
前回の宴会の翌朝……からの急展開。「黒い人」はゲートも開けずに「発生」したというから、ポラリスシステムに想定外の負荷が掛かりそうになると動き出すセキュリティみたいのものでしょうか。オペレーターたちは「黒い人」とはさらに別口の存在のようで、「なぜこの世界が存在するのか」というスケールに話が膨らんできました。最後の臨時通信がどうも既存のキャラの誰からしいのも気になるところ。
 

伊勢の五二会館と明治聖代戦役記念碑そして神都教学館

バラバラのピースが組み合わさって一つの答になる、という快感を確かに味わったのだが、他人に伝えるとなると、とにかく答から示さざるを得ないのがもどかしい。
 
そんなこんなで、明治聖代戦役記念碑の話の続き(前回は→ )。五二会館(五二会ホテル)を軸と捉えたら、建設に至る流れのひとつが見えてきた。
まず五二会館について。孫引きになるが……。

明治27年 元農商務省次官 前田正名が品評会を計画
明治32年 五ニ会館として宇治山田市に開館。第6回全国五二会大会が開催
明治33年 ホテル営業開始。附属商品陳列館は全国生産品を蒐集販売して盛況を極める
「今上陛下御結婚御奉告の御為、妃殿下(皇后陛下)と御同列にして藭宮御参拝あらせられし御時、本館を以て御旅館に充てさせ給ふ」
明治36年 電車開通後に衰微せしを以て附属商品陳列館廃業
明治42年 旅館五二会館は大日本ホテル株式会社に譲渡、大日本ホテル支店五二会ホテルとして営業した
大正3年 大日本ホテルは京都・都ホテルに売却、翌4年から支店として営業を行った
大正5年 都ホテルから五二会ホテルを宇治山田市が買収後、すぐに明治聖代戦役記念会へ売却。
ただし、会館は市において管理し、旅館の営業は都ホテルに委託して行うことにした。


・ 
『伊勢探訪記』「虎尾山 旅館五二会館と五二会商品陳列館」
http://nfc.no.coocan.jp/ise-gonikaikan.htm

リンク先の年表に、一件重要なトピックを補った。今上陛下つまり大正天皇が皇太子だった頃、妃殿下と共に伊勢神宮への結婚の奉告に訪れたさいに、この五ニ会館に泊まったのだ。そのため「3階の一室は今猶御座所として鄭重に保存せられたり」という。
 
そして私が注目するのが、最後の大正5年だ。宇治山田市は買い取ってすぐ「明治聖代戦役記念会」なる団体に売却するも、その後も引き続き管理を行う。それで旅館の営業はというと、売却元の都ホテルが引き続いて行ったという。

つまり、外部から見ればずっと都ホテルのまま、所有権だけは明治聖代戦役記念会にあり、市が裏方として動いていた……という形。何故にこんな複雑な扱いにしたのか?
答を解くカギは、これだ!

……見えない。前回も取り上げた、大正7年の「明治聖代戦役記念碑建設会に関する件」(三重)の一部である。写真は真っ黒で輪郭程度しか見えないがキャプションは読める。
https://www.digital.archives.go.jp/

明治聖代戦役記念碑建設会会員に限り特に拝観を許さるべき会館階上御座所

今上天皇陛下の御座所たりし由緒を有する
明治聖代戦役記念碑建設会会員接待所正面玄関
 
「会員に限り特に拝観を許さるべき」、つまり所有者である記念会(→記念碑建設会)の会員集め、記念碑建設の資金集めのエサとして五二会館は使われたというわけだ。こうなると、大正5年の「すぐに〜売却」の「すぐ」がどれくらいかは不明だが、市はごくごく初期から記念碑建設計画に深く関わっていたと見るのが自然だろう。

これも「明治聖代戦役記念碑建設会趣意書」の、「本会役員」。理事長こそ予備陸軍砲兵少佐・緑川敬之助だが、名誉理事には宇治山田市長や前市長が、理事には市会議長、前議長、市参事会員らが名を連ねており、市が会の設立を主導したと推測される。
 
……都ホテルが五二会館売却の意向を示したため、市はとりあえず買い取った。そして、いずれこれと絡めた明治天皇関連の施設を虎尾山に作ろうと目論み、とりあえず会を設立して、その会に五二会館を売却した(全くの憶測だが、売却といっても事実上は譲渡だったのではないか)。何をやるか決めないままの会の設立だったから、大正5年の時点では「記念碑建設会」でなく「明治聖代戦役記念会」と称した。その後も計画が固まるまでは都ホテルに任せて旅館営業を継続。そして大正7年に計画が固まると、五二会館の御座所拝観を会員特典に設定して会員を募った……。
 
というのが私の推測である。
 
ところがどうも思うように資金が集まらなかったらしい。会の本格始動が大正7年(1918年)として、明治聖代戦役記念碑の完成は昭和3年(1928年)と10年がかり。完成した塔もまず立派なものだが、趣意書の設計図と比べるとかなり規模を小さくしている。
 
そして五二会館はというと、前回ちょろっと触れたとおり昭和13年頃には廃屋と化していた。『産業報国教書』(1941年)の「虎尾山の聖地」には、神都教学館所有となる以前のことも書かれている。

神都教学館は、故前田正名翁によって建設された有名な五二館の旧館で、或る富豪の手にあって廃屋とされていたものを、当時横浜市外の純真学園に在って、純美と純愛と純真の道場兼時給経済農園経営の傍ら、学的精進に勉しまれていた先生が目をつけ、之を買い取られたもので、建物は久しく荒れたままになっていたが、そこには尊い歴史をそのままに存していた。
畏くも、大正天皇神都行幸の際の行在所として、その玉座は、今も神都教学館大道場の式壇として仰慕されている。

「或る富豪」が記念碑建設会の関係者か否かは不明だが、いずれにせよ会の所有ではなくなっていた。会員接待所として使われておらず、それどころか「久しく荒れたままになっていた」という。

そうして五二会館は岡本利吉の手に渡った。『神都教学館趣意書』(昭和14年)のウラ表紙にその当時の外観写真が載っている。


「聖き英霊が数々籠る神都の名跡・旧五二会館に於て」云々と、写真と併せて重要なアピールポイントにしている。
 
さらに戦後になると、再びブログ『いにしえの伊勢』2008年7月22日付「聞き書き 虎尾山の記憶1」(http://inishienoise.blog.so-net.ne.jp/2008-07-22)を参照するが、

・戦後の一時期は自由に出入りができ、柔道場として使われていた。管理人はいなかった。
・戦後は戦災で家を失った人の避難所として使われていた。2階までは人々が使用していたが、3階は立ち入ることができなかった。
 →大正天皇が泊まった「御座所」があったからかもしれません。

とのこと。神都教学館(戦後に礼道教学民生館)の代表、岡本利吉は戦後も虎尾山にとどまっていたようだが、五二館を所有したまま避難所として開放したのか、それともこの時期手放していたかはわからない。
 
年表にまとめなおすとこんな感じだ。

大正5年 都ホテルから五二会ホテルを宇治山田市が買収後、すぐに明治聖代戦役記念会へ売却。
ただし、会館は市において管理し、旅館の営業は都ホテルに委託して行うことにした。
大正7年 明治聖代戦役記念碑建設会趣意書に「会員接待所」と掲載
昭和3年 明治聖代戦役記念碑完成
昭和13年 或る富豪が岡本利吉に売却
昭和14年 神都教学館として運用開始
昭和20年 避難所として使用される 

あまり関係の無い話だが『三国志演義』の伝国の玉璽を連想してしまった。神秘性をもって人々に切り札のように扱われるが、実際のところ何の影響も与えないままコロコロと所有者が変わっていくあたりで。

忠魂碑・忠霊塔(番外編)「明治聖代戦役記念碑」

国立公文書館デジタルアーカイブで「明治聖代戦役記念碑建設会に関する件」(三重)閲覧。
https://www.digital.archives.go.jp/
半分の月がのぼる空」の聖地、伊勢市の虎尾山に立つ碑のことだ。もう1年半も前か、痛ましい事件の現場にもなった。
http://d.hatena.ne.jp/UnKnown/20150930
私はこれを忠魂碑の類だろうと思っていたが、建設趣旨書を読むと、なんと戦死者慰霊には全く触れていない。……皇祖大神宮=伊勢神宮があるこの地に、明治天皇の御治績御成徳と二大戦役の武勲を永遠不朽に伝える記念碑……との趣旨。日清・日露戦争に加えて大正3年(1914年)の日独戦争(チンタオ戦)まで「明治天皇御偉業ノ効果ニ外ナラザルベシ」としているのも目を引く。


設計図も掲載されている。完成時には金鵄を頂いていたというが計画段階では……天照大神? 絵が見づらいがどうやら右手に掲げたものは発光させる計画だったようだ。

ブログ『いにしえの伊勢』2008年7月22日付「聞き書き 虎尾山の記憶1」(http://inishienoise.blog.so-net.ne.jp/2008-07-22)によると、「記念碑の上部のマークの中央は赤く光っていた」「発電機は塔(記念碑)の中の下部に置いてあり、電線は、内部のはしごにそって設置されていた」とのこと、形は変われど電飾は施されたわけだ。天照大神のイメージを継いで、太陽らしく赤く光らせたのだろう。半分の月ならぬ丸い太陽が輝いていたのだ。

趣旨書にはまた「明治大功臣諸公ノ銅像」を配する、とあり、設計図にも「銅像台」が描かれている。これは実現しなかったわけだが、誰をどういう順で並べるつもりだったのかと興味が持たれる。
 
他方、私の興味のメインである「戦後どの段階で銘を剥がされ、打ち捨てられたか」はどうも判然としない。

(『写真集 明治大正昭和 伊勢二見小俣』国書刊行会
昭和20年に破却というから、やはりGHQ指令「国家神道神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件」いわゆる「神道指令」によるものだろうが、これは昭和20年12月15日付だから昭和20年破却というのが本当ならあまりに対処が速いという印象。
http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/others/detail/1317996.htm
 
また、塔との直接の関係は無いが虎尾山には「神都教學館」(戦後に礼道教学民生館→民生館)という学校(半ば宗教的な道場?)があった。現地では有名だったらしい「五二会ホテル」の旧館(どうでもいいが「舊館」はさすがに読めず手こずった)が廃屋となっていたのを、岡本利吉という割と有名だった(らしい)学者が買い取って開設したとのこと。岡本利吉は一名岡本普意識といい、人工言語ボアーボムで有名らしいがこれまた不勉強でよくわからない。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E6%9C%AC%E5%88%A9%E5%90%89
 
1941年の書籍『産業報国教書』には「虎尾山の聖地」と題して岡本利吉と神都教學館を取り上げた一節がある。そこでは塔には一切触れていないが、国家神道の時代の伊勢そして虎尾山の特異性がうかがわれた。伊勢ではほかに、1933年に「大神都聖地計画」が構想されている。虎尾山の塔もまた、戦死者慰霊とは別の領域で考えるべきものなのだろう。



というわけで、ちょっと現地に出かけてみます。

「エネルギーは手塚治虫由来」伝説

「 energy を エネルギー と書くのは手塚治虫が原点」という伝説がある。

また、今日普通に使っている『エネルギー』という言葉を
日本に紹介したのも手塚氏だという話も聞いたことがあります。
("燃料"は英語で"エナジー"ですが、手塚氏が医学生
経験していたのでドイツ語の"エネルギー"としたという説です)
(回答日時:2002/08/13 ) 
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/334567.html

↑これなどは伝聞扱いだが……。

鉄腕アトム(エネルギーという言葉を定着させる。日本人からロボットアレルギーを取り除く)
http://www.geocities.co.jp/AnimeComic-Pastel/2563/shakaieikyou.htm

↑こちらは作品まで「鉄腕アトム」と特定し「社会的影響」を10段階の7と評価。
その出典は……。

何故、日本では英語でエナジーと言わずドイツ語でエネルギーと言うのでしょう。それは、手塚治虫がエネルギーと言ったからです。

エネルギーという言葉は手塚治虫が「鉄腕アトム」で使って広まった。医師免許を持っていた手塚治虫が好んでドイツ語を使用したため。

とあるが、リンク先は2件とも死んでいる。
そのほか、

エナジーとエネルギーについて
手塚治虫さんが改名したそうなんですが・・・理由は?
(2010/8/29)
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1146084821

↑これなどはもう事実という扱いで、そのうえ理由を聞いている。
 
かく言う私も疑ってなかったが、これが全くのデタラメだと判明した。
なんてこたぁない、国会図書館サーチで「エネルギー」を検索すればいい。
http://iss.ndl.go.jp/

1891年(明治24年)の『新編物理学』から「エネルギー」だ(「ネ」が「子」の形の変体仮名)。この後、途中で廃れたりすることもなく、ずーっと「エネルギー」のまま。一方で「エナジー」の検索結果はほとんど無く、1930年の論文が1件、1952年の雑誌が1件、あとは60年代以降だ。
 
「いやいや、60年代まで『エネルギー』は専門用語だったのを、手塚治虫のマンガがポピュラーにしたんだよ」なんて人もいそうだが、それもまずNG。自然科学とはおよそ無関係な『神都教学館趣意書』(1939年=昭和14年)にも……。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1093694

「温い心と純愛の努力こそ、太陽の持つエネルギーの熱情であり」云々と書かれており、まぁ普通に使われていた様子。
 
さて、誰が一体、いつ「 energy を エネルギー と書くのは手塚治虫が原点」などと言い出したんだろう? 手塚治虫研究者は多いが、こういう部分にアプローチしてる人はいないのだろうか。