忠魂碑・忠霊塔#43「坂出八幡神社」/四国旅行#3

9月の四国旅行についてのエントリはこちらからどうぞ。
http://d.hatena.ne.jp/UnKnown/20150922#p1

 
岩屋架道橋を見終えて、あとは坂出駅前まで戻るべきところだったが、まだ時間に余裕がある。おっとそう言えば、ため池の向こうに白い石造の鳥居が見えたなと思い出して、ちょっと神社に足を運ぶことにする。

坂出八幡神社、興味の第一はもちろん忠魂碑だったのだが、これが大当たり。

なかなか大きくて立派なものが立っている。

これは「明治卅七八年○○記念碑」。元帥公爵 大山巌書。裏面にはこの地の出征者の名前などが刻まれていたが光の向きが悪くてうまく撮れなかった。

おそらくというかまず間違いなく、敗戦後にGHQから軍国的なものは撤去するよう指導されたが「戦役」の二文字を埋めることで回避した、という経緯だろう。
こうした例は、超大物では宮崎の八紘一宇塔(平和の塔)が有名だが、
http://d.hatena.ne.jp/UnKnown/20131125
街中の比較的小規模な忠魂碑に、同様に対処した例があったとは。
 
このうえ輪にかけて面白いのが、この記念碑と向かい合わせで立っているもう一つの碑。


「征清之役凱旋紀念碑」。征清だ凱旋だとずいぶん勇ましいが、こちらのほうは碑文に手を入れられた様子もなく立っているのだ。
……ひょっとして「戦」の一文字がなければGHQには気付かれまい、という判断だったのだろうか? こちらは明治三十二年五月建之とあった。「表面九字」は「元帥陸軍大将 正二位勲一等功二級 山縣有朋」。