誰が「戦時中はゼロ戦とは言わなかった」と言ったのか・その4

思いがけず長いシリーズになりましたが今回はまとめです。
 
「誰が『戦時中はゼロ戦とは言わなかった』と言ったのか」
【その1】 http://d.hatena.ne.jp/UnKnown/20150519
【その2】 http://d.hatena.ne.jp/UnKnown/20150520
【その3】 http://d.hatena.ne.jp/UnKnown/20150523
そして追加↓
【その5】 http://d.hatena.ne.jp/UnKnown/20150531
【その6】 http://d.hatena.ne.jp/UnKnown/20150607
【その7】 http://d.hatena.ne.jp/UnKnown/20150616
【関 連】 http://d.hatena.ne.jp/UnKnown/20150524
 
まず実際に搭乗したパイロットとその周辺は「ゼロ戦」と言っていた。「海軍はリベラルだった」…という捉え方もまぁステレオタイプではありますが、敵性語は断じて使わない、というスタンスではなかったのでしょう。あるいは時系列で言えば、対米開戦以前から中国大陸で戦果を上げていたわけで、その時期からもうゼロ戦で定着していたのかもしれません。

ところが一般に対しては「零式艦上戦闘機」「零戦(れいせん)」という名前すら、昭和19年11月まで伏せられていた。当然、ゼロ戦なんて知る由もない。一方、その時期には「敵性語は使うな」という動きが社会全体を巻き込むものになっていた。だから後年、丸谷才一堀越二郎をはじめとする戦中派も「ゼロ戦というのは戦後生まれた愛称」と思い込むようになった。

いずれにせよ米軍にあっては、「ゼロ・ファイター」という徒名が戦時中に付けられていた。それは「零戦(れいせん)」に由来するのかもしれませんが、「ゼロ戦」由来と捉えるほうが自然な気がします。

戦後10年余……1957年にアメリカで坂井三郎の『サムライ!』や堀越二郎奥宮正武の『零戦』が出版される。アメリカで戦中の日本を再評価する動きが起きたのだ。それを受けて日本には「戦勝国にして占領軍のアメリカにオレたちは認められた」という心情が生じた。そうした時代にあって、「ゼロ・ファイター」を受け入れ、それに由来する新語としてゼロ戦」が定着した……てな仮説はどうでしょう?

しかしバブル時代、日本は経済力においてアメリカを凌駕し、日米貿易摩擦が生じた。それと前後してソ連グラスノスチ進展やベルリンの壁崩壊などで東西対立が緩和、89年についに冷戦が終結すると日本とアメリカは互いを「敵国」と認識するようになる。戦中日本の対米姿勢、「敵性語」に対する人々の関心も高まって、1990年には「ゼロ戦などという敵性語(=アメリカ流の呼び名)を使った者など一人もいない」と改めて主張されるようになった……。

仮説を「ストーリー」化するとこんな感じデスかね? こうなるともう検証のしようがないというか、この仮説に基づいて資料を集めるというフェーズになるわけですが、私はもうめんどいのでやりません。