誰が「戦時中はゼロ戦とは言わなかった」と言ったのか・その6

【その1】 http://d.hatena.ne.jp/UnKnown/20150519
【その2】 http://d.hatena.ne.jp/UnKnown/20150520
【その3】 http://d.hatena.ne.jp/UnKnown/20150523
【その4】 http://d.hatena.ne.jp/UnKnown/20150525
【その5】 http://d.hatena.ne.jp/UnKnown/20150531
 
【その7】 http://d.hatena.ne.jp/UnKnown/20150616
 
昨日、国会図書館で「私が『ゼロ』戦の設計者だ」(『読売評論』1950年11号)を閲覧してきました。
http://iss.ndl.go.jp/books/R000000004-I5032228-00
終戦後5年という時期に書かれた堀越二郎の記事ということで何かと色々興味深かったのですが、とりあえず本題の「零戦」「ゼロ戦」「Zero」問題。
箇条書きにすると、
・タイトルは「「ゼロ」戦」、キャプションでも「ゼロ戦
・本文では「零戦
・米雑誌"AIR TRAILS"1949年4月号に載った記事は"The Great "Zeke" Mystery."
・その記事を受けて堀越二郎は"AIR TRAILS"に寄稿。1950年9月号に載った予告は、
Next Issue
The Truth about the
TAP ZERO
by its Designer!
 
……というわけで、「ゼロ戦」と、おそらく「れいせん」と読ませたい「零戦」と、"Zeke"と"ZERO"がごっちゃに出てくるのでした。
いやもマジでディーゼルさんの力を借りて、とりあえず"AIR TRAILS"1949年4月号、1950年10月号だけでも手に入れたい気分。