最近観たTV番組

SHIROBAKO#23
「続・ちゃぶだい返し」。変な話「魔神英雄伝ワタル」を連想するんですよ。あれ、敵の幹部は倒されても死なない。元の善人の姿を取り戻す。悪の帝王の側近に至るまでそういう扱いで、なのに悪の帝王だけは何の救いもなく殺されちゃう。いいんですかね変な話。

とマァ、茶沢(&原作者)周りのドラマに関しては「堅実だがいささか安易な作劇であったなあ」と。何者か悪を規定したほうが確かに伝わりやすいんだけどね。前回まで引っ張った平岡の話と合わせて捉えるとこれ、「身内にはホントの悪人はいないんです、失敗は外からもたらされるんです」という自己弁護に見えてしまうのが難。原作者も身内の側に取り込めたから、結果残された茶沢が全ての悪を背負うことにななってしまった。

茶沢の事情も汲むべき、ということではなくその逆で、アニメ三女スタッフの中にもどうにもならない奴がいるけどそれでも仕事は回る、という図式に落とし込めなかったもんかね変な話。

前回でVer.5までいったED、最初から5人そろってるバージョンを予想していたから全く意表を突かれた。「R」の赤文字も鮮やかなEDから、全く動かない次回予告。そしてサブタイは「遠すぎた納品」……最後にもうひと波乱ある? まぁそもそものタイトルが「白箱」なんだから最後はめでたしめでたしでしょうが。
 
アイドルマスター シンデレラガールズ#10
不審者扱いを「お約束」にしてそこから話を転がすのって、巧いけど非道い(笑)。まるで「ギャグマンガ日和」のクマ吉くんだ。いや、クマ吉は毎度「逮捕されてオチ」だけどPちゃんは「話の展開に詰まると逮捕」だから、ひょっとしたらクマ吉以下かもしれん。ただまあ、ケータイが普及したことで古典的な「行き違い・すれ違い」シチュがやりづらくなったけれど、なるほどこうすればいいのかとは思う。

新ユニット「凸レーション」、おませな莉嘉、真面目なみりあといういつもの年少コンビにきらりが加わって、三者いずれも魅力を増していた。前回と併せて見ると、CIでは杏が普段とは違う側面を披露したのに対して、凸のきらりはいつもどおりの面倒見の良さを発揮したという違いも面白い。

その上で、どこかの段階で関係性に変化があるとは思っていたが、なるほどなあ。梨華の靴擦れに責任を感じてきらりが沈んじゃう、二人がそこで励ますときたか。キャラの根幹はぶらさずに、また違った側面を見せてくれた。巧い。

それにしてもきらりも蘭子も強烈なキャラの持ち主で、しかもどちらも素でアレだという。そんな周囲を見て前川さんは「キャラ付け無しでは生き残れないにゃん!」と思い詰めているとか想像すると楽しい。ていうか、残るは戦略的にキャラ付けしているみくにゃんと、ただ何となくロッカー気取りで徹底できてないだりーなさんだから、そうしたキャラ付けの差を巡るエピソードになるのでは。
 
ジョジョの奇妙な冒険#35
「ダービー・ザ・ギャンブラー その2」。ダービーはあれだ、ほんの一瞬目を離している間に承太郎の顔半分が真っ黒になっていたから驚いたんだな。

つーかもう自主規制を前提にして作れっての……。「火の着いたタバコを手に持っている」ならOKなんだから(その基準のナンセンスさはともかく)、くわえタバコでないとどうしてもおかしいカット以外はそうすればいいのに。

ともあれ銀河万丈の怪演は文句無し。この際だからダービー弟には森功至をキャスティングして欲しい。ザービー兄弟、なんちて。
 
『プリパラ』#37
「奇跡よおこれ!ミラクルライブ」。♪オシャレなあの子マネするより 自分らしさが一番でしょ ハートの輝き感じたなら 理想探しに出掛けようよ ふえていく想い出ぜんぶ パキンと半分こで 友達コンプリートしよ Make it! ドキドキするとき無敵でしょ Make up! キラキラ未来で決まりでしょ 夢はもう夢じゃない 誰だって叶えられる Lady,ready to go! paradise!
……いやすげぇわ、この理屈無用の力。「そもそもプリズムボイスって何だったのよ?」「結局ファルルは何者になったのよ? それはどうして???」みたいなツッコミどころが山ほどあるし、言ってしまえば超ご都合主義の展開なんだけど飲み込まれてしまう。見返しながら上の歌詞のテキスト起こしをして、ユニコンみたいに顔を溶かしながらキーボードを叩いていたというのはヒミツだぞ。
 
ウルトラQ#12
「鳥を見た」。この導入、この設定でどうして少年の成長話になる? 的な気分は子供の頃から何度見ても変わらない。ただ、中城健太郎のマンガ版だと最後に幽霊船が浮上して、ラルゲユウスはその船とともに再び四次元を超える旅を行く……という幕切れなのね。

それなら「古代に絶滅したはずの怪鳥が10世紀に目撃され、そしてその10世紀の船とともに現代に現れた」という導入との整合が取れているし、少年と怪鳥という現代に居場所がない者同士の出会いと別れ、というドラマも明確。ひょっとして、シナリオ段階ではこういう話だったのが、映像にはできなかったという事情があるのではなかろうか。それとも中城健太郎の作家性の成果?