東北旅行#8/気仙沼

奇跡の一本松から気仙沼までは大船渡線(BRT)で移動。専用道路の区間は全く無く、BRTとは名ばかりで完全に代行バスだった。たまたま観光用車両に乗ることになったのだが、車内は混み合っていて身動きが取れず、余計なデコレーションにスペースを割かずに少しでも定員を増やすべきではと思ったりもした。
気仙沼駅のひとつ前、鹿折唐桑(ししおりからくわ)駅のあたりから次第に津波被害の痕跡が感じられるようになる。気仙沼駅はそれなりの高台にあり、気仙沼市街から少々離れているので、私と同じルートで被災地をたどるのであれば気仙沼まで行かずに鹿折唐桑で降りたほうが良いだろう。
さて、鹿折唐桑駅を過ぎて海辺へと近づき、突き当たりの五十鈴神社を避けてカーブすると、バスは気仙沼市街に入る。
……街の原型を留めていない陸前高田の被害も恐るべきものだが、むしろこの、街の姿と機能を残しながら「歯抜け」になっている気仙沼の姿のほうがショッキングだった。

気仙沼駅には16時過ぎに到着、徒歩で市街まで戻って撮影。


私には前に一度来たことのある街で、だからこその衝撃もある。


上写真は左端。端正な近代建築が街角に建つ、往時の賑わいを感じさせてくれる港町だったが、その保存建築も現在はこのとおりだ。

「この建物は国登録有形文化財です。
国内外の募金により応急修理されています。
 平成24年9月に応急修理の曳き家工事が実施されました。」

いつか復元される日もくるのだろうか。


こうした建物が少なくない。

港に面したビルの壁面には、津波の高さが記されていた。

あえてだろう、一階は被災当時のままに、NPOの拠点となっているビルもあった。

海沿いの道。復旧の際、土砂を取り除いて修復したのではなく、元の道の上に土を盛って現在の道路を造ったことがわかる。

港に面して建つ、いや、かつて建っていた別荘か私宅の跡。千切れてむき出しの鉄筋が津波の威力を物語る。

反対側、やや上のほうから見下ろす。この建物が撤去されずに残っているのは、ある種のモニュメントとしてあえて残しているのだと思いたい。ただ、仮に所有者はもういないとして表札は外したほうがいいのでは……。




気仙沼駅周辺は坂の上で、津波の被害を受けなかったのだろう、古風な建物が散見された。地震にも耐えられたのか。

大船渡線気仙沼駅から盛方面は(乗ってきたとおり)BRTに転換。しかしバスは一般道を走り、またこのあたりはレールには直接の被害がなかったらしく、廃線のように草むした状態。高田あたりは路線も内陸部に移転する計画だと聞いた覚えがあるが、このあたりはいずれまた鉄道として復活するのか?

ひととおり町をめぐって、気仙沼駅17時53分発の大船渡線列車、こちらはちゃんと鉄道のままの大船渡線に乗って一ノ関に向かう。

この日の宿泊地、一ノ関には19時14分到着。定時性の確保という点は、やはりバスでは鉄道に敵わない。都市部のように、時刻どおりに来なくてもちょっと待てば次の便が来る高頻度運行ならば良いが、一本乗り損ねると次の便は2、3時間後という地方にあっては定時性は重要だろう。

そしてとりあえず地ビールを空ける。