福島県矢吹町の旅/忠魂碑・忠霊塔#33

3月11日なので震災関連の記事を上げる。震災だの復興だのは全く意識しない旅の途中でたまたま被災地に行き着いただけ、その上ただ歩き回るのが私の旅の基本なので現地にお金を落とすこともできなかったので、せめて状況だけは伝えておこうと思う。
 
先の週末、青春18きっぷを使って旅行に行ってきた。8日土曜日は那須ハイランドパーク(http://d.hatena.ne.jp/UnKnown/20140309)等の那須の観光地を巡り、黒磯からさらに北上して福島の飯坂温泉に一泊。9日日曜日は飯坂温泉街、福島市街を見た後、帰りがけに気まぐれで矢吹という駅で降りた。
http://home.h09.itscom.net/oh-net/hukusimaken.html
移動中にスマホで参照した「日本の古い町並み」というサイト(去年の宮崎旅行でも活用させてもらいました)に「戊辰戦争で戦火を受けて町並みが消滅しました。いまある建物は明治以降のものです」と書かれていて、それならむしろ私の好物だ、という経緯。

矢吹駅西口から真っ直ぐ進むと、旧国道4号と交わる十字路の角に典型的な銀行建築が見えた。


しかし特に解説、案内等は無し。「福島県の近代建築探訪 1」という個人サイトによると、昭和2年建築の「旧東邦銀行矢吹支店」とのこと。
http://3rd.geocities.jp/ta14hi/kindaikentiku/fukusimaken/fukusimaken1.htm
http://3rd.geocities.jp/ta14hi/kindaikentiku/kindaikentiku-index.htm

大正ロマンの館」(旧屋形医院)、大正9年築。

玄関まわりのベランダに補修痕があるのは震災の被害だろうか。その向かいにある酒蔵「大木代吉本店」も、塀などが曲がったままだった。

これは特に震災とは関係ない道路原票。

ここにはかつて町役場があったそうだ。

矢吹神社にまで足を伸ばす。


燈籠や狛犬が崩れたままだった。

現役の狛犬の台も応急的な修理しかされていない。

何の円柱だか一見しただけではわからなかったが、これは鳥居……かつて鳥居だったものの残骸。

小さい狛犬が倒れ伏した大きい狛犬を見下ろしているようだ。

注連縄などは新しく、神社自体が廃社になったわけではないようだ。

忠魂碑、だったと思われるもの。肝心の碑が無くなっている。

裏手に回ると、倒れたままになっていた。「陸軍大将一戸兵衛書」、だが肝心のその書は現状では見ることができない。
 
生きている人間、その生活をこそ優先すべきであり、言ってしまえば不要不急の神社や忠魂碑の復旧が後回しになるのは当然なのだが、それにしても3年経ってまだこの有様というあたりに震災被害の大きさを改めて感じる。
帰宅後ググった結果、ウィキペディアにこう書かれていた。

2011年3月に発生した東日本大震災において、矢吹町では震度6弱を観測した。 この地震矢吹町の全半壊戸数は1800戸であり、総戸数に対する割合は30%であった。 これは、当震災において津波被災のない内陸部の市町村では最大の損壊率であった。